大貫武君と「美しい沈黙」について 8/23/1996 at 下北沢 Club Qu

 今夜はみんなに聞いてもらいたい話がある。
 数年前、僕のところへある男がやって来て、曲を作ってくれないかっていう突然の依頼があった。
 彼の名は大貫君といって、子供の頃から血友病で、そのために血液製剤を打っていたんだけど、それが非加熱だったせいでHIVに感染してしまった。感染したと知って、彼は改めて強く生きていく決心をしたらしい。そしてそんな自分を励ましてもらうために、曲を作ってくれないかと依頼してきた。
 ずいぶんとんでもない頼みだとは思った。断るのは簡単だけど、僕にできることがあるかもしれないと考えてみて、彼のために曲を作ることに決めた。
 だけど、どんな風に曲を作っていいか、すごく迷った。例えば肩をポンと叩いて「何とかなるさ」って曲を作ってもよかったんだけど、僕にはとてもそんな曲は作れなくて。彼と僕にどんな接点があるだろう、僕に作れる歌はどんな歌だろうって、しばらく悩んだ。
 彼はHIVに感染する前から恋人がいて、一緒に暮らしてるって話を聞いてて。だったら彼と彼女と、そして彼の周りにいる身近な理解者のための希望の歌を作りたいと思った。そしてラヴソングを作った。
 「美しい沈黙」ってタイトルをつけて彼に送った。だけど、彼がその歌を喜んでくれるかどうか、自信がなかった。もしかしたらその曲で、余計に彼のことを傷つけてしまうかもしれないと思った。
 彼はすごく喜んでくれた。ある日、コンサートが終わった後、僕は初めて彼と握手を交わした。その曲が彼の人生の希望の歌になったと聞いて、すごく嬉しく思った。音楽の力が1人の人間を元気づけ励ますことができるっていうことが、すごく嬉しかった。
 しばらくたって、彼は僕に、「本を作りたいんだ」って話をしてきた。いろんな人と対談して、その対談集って形で本を出したいんだって。僕は承知して、彼に会いに行った。場所は、彼が入院している病室で、僕は彼といろんな話をした。その本は「エイズを百倍楽しく生きる」ってタイトルで出版された。このタイトルは彼なりのジョークで、彼なりの、強く生きていくんだっていう決心の意思表示だったんだと思う。
 去年、ちょうどその本ができあがった頃、12月1日の国際エイズ・デーに、僕は彼に誘われて早稲田大学の講堂のステージで、彼と、彼と一緒に本を作ったライターの山下さんと、ボランティアの大学生とで話をした。そしてその時そこにあったピアノで、初めて生で彼のために「美しい沈黙」を歌った。歌が終わった後、彼は僕に抱きついて喜んでくれた。
 「また会おうや」って約束して、別れた。
 そして。
 今年の6月22日、彼は突然逝ってしまった。30歳だった。恋人と結婚の約束をして、彼女の誕生日の日に入籍しようって決めて、彼が逝ったのは、彼女の誕生日の3日前だったそうだ。
 彼が逝ったと聞いて、最初に感じたのは、哀しみなんかよりも、むしろ怒りだった。彼は殺されたんだと思った。
 自分の親しい人間が先に逝っちゃうっていうのは、すごくたまらない気がする。改めて、こうやって自分が生きていることの意味を考えさせられたり、自分がやり遂げていないテーマを突きつけられる、そんな気がする。
 彼が逝った夜、彼の友人達は彼の周りに集まって、「Passing Bell」のようにシャンペンを抜いて、最後まで強く明るくポジティブに生きた彼を、乾杯で見送ったっていう。僕もそんな風に彼を見送りたいと思う。追悼なんて言葉が似合わないような男だった。多分今頃、天国辺りで元気な体になって、僕達を見おろして、「何しんみりしてんだよ」みたいに笑ってると思う。
 今夜は彼のために作った歌を、もう一度歌いたいと思う。彼のために、そして彼が愛した人達、彼を愛した人達のために歌う。みんなにも聴いてほしい。