熊本から上京し、歌い始めて30年になります。
55歳になる僕は、常に「どこにも所属していない」というジレンマを抱えてきました。
70年代前半に音楽に目覚めた時、ビートルズは解散して伝説になっていました。
それに代わってラジオから海外の上質なポップスと、黎明期の日本のフォークソングが流れ、中学生だった僕は憧れを持って耳を傾けていました。
しかし、パンクロックが生まれて世界中が髪の毛を逆立てた時、テクノポップが流行して世界中がもみあげを切りそろえた時、僕はどちらにも所属しませんでした。
1983年にデビューして、新鋭のフォークシンガーと雑誌で紹介されて反発を感じ、ニューミュージックというジャンルに当てはめられて居心地の悪い思いをし、 Jポップに至ってはまるで他人事でした。
「僕は誰?」という永遠の問いかけには、その時々でそれなりに当てはまる答を見つけていかなければ、世の中を渡っていくは辛いのですが、どうしてもしっくりくる答を見つけ出せずに来てしまいました。
そして今、ようやく見つけた答らしきものは、「まあつまり、俺は俺さ」という至極シンプルな、ちょっと頭の悪そうな、結局はそこに行き着くしかない答でした。「30年かけてこれかよ!」というツッコミも含めてです。
僕が所属する場所は「歌」でした。ジャンル分けするならシンプルなロックです。あらゆる時代に存在し、時に流行に揺さぶられながらも、常に人々の唇にあった歌が、僕の帰る場所になりました。
歌はいつも軽快なリズムをくれ、ラヴストーリーのサウンドトラックを奏でてくれ、迷った時には「心配すんな、何とかなるさ!」と背中をどやしてくれます。
今は僕が歌を描き、多くの人に伝える毎日です。客席の笑顔や歌声は、みなさんが思っているよりはるかに僕に勇気を与えてくれます。
そんな場所を見つけた僕は、すごくラッキーなんだと思います。
みなさんはどうでしょう。今も懐かしむ、帰る場所はありますか?
団塊の世代の人たちは今も同世代と肩を組み、尿酸値を気にしながらもやんちゃに飲んでいますか?
元竹の子族の女の子は、原宿で仲間たちと撮った写真を娘と一緒に見ながら「素敵な青春だったのよ」とふり返っていますか?
バブル時代にタクシーに乗って1万円札を出し「釣りはいらない」と言った課長さんは、今も現役でがんばっていますか?
ヒップホップを卒業して結婚した男の子は、赤ん坊を抱きながら今も韻を踏んでいますか?
熊本に帰ると、たいていは昔の音楽仲間と飲みます。髪が寂しくなり、お腹周りが倍になった連中との話題は、今でもやっぱりロックです。
「ツェッペリンのサードアルバムが」とか「テレキャスターのビンテージモデルが」なんて話をしている時の彼らの瞳には、まだどこにも所属していなかった学生の時と同じ輝きがキラキラ宿っています。
ここにもひとつ、僕が帰ってこれる場所がありました。
(c)2013 Takuji Oyama
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