GUEST ESSAY - 人の森からまったく内藤ってやつは!


noie photo 去年、ひさしぶりに内藤氏と青山のバーで会った。
 僕は新しいアルバムのレコーディング中で、彼にジャケット写真を撮って欲しいと思い、その話をするためだった。
 ところが内藤、「嫌だ」と言いやがった。「優しい顔した小山なんか撮りたくねえ」ときた。僕はその前年《花を育てたことがあるかい》というタイトルのアルバムを出したが、彼はそのアルバムが気に入らなかったらしい。「小山らしくない」というのが彼の意見だった。まあ確かに僕は、サボテンさえ枯らしてしまうような男だ。
「今度はゴリゴリのロックアルバムを作ってるんだ」
「それならやってもいいな」
「なんだとこの野郎」
 グラスを重ねていくうちに、話は異常に盛りあがっていく。
「とにかく俺が走るから、おまえも望遠レンズなんかじゃなくて短いレンズつけて一緒に走れ」
「おお、じゃあ俺が叫ぶからおまえも叫べ」
「あたりまえだ。俺が歌って踊るからおまえも歌って踊れ」
 と、そんな曖昧なミーティングを何度か重ねた挙げ句、僕らはある日、富士山の6合目に立っていた。目の前には草1本生えていない岩だらけの斜面が広がる。
「ここをシャウト一発転がり落ちるわけだな」と、俺。
「そういうこと」と、内藤氏。
「怪我しても知らないよ」と、スタッフ。
「カメラだけは守ってくださいね」と、当日アシストしてくれたカメラマンの真崎可奈子さん。
 よおし行くぞおっ、てな気合いで飛びだし、打ち身擦り傷青アザ筋肉痛、えらい目に会った。しかし、あがった写真には、まさに僕と内藤氏が撮りたかった空気感が写っていた。

 内藤氏と知り合って12年になる。その間、ステージや様々な場所での撮影で、常に彼は僕の1番奥深くにある素顔をすくい取ってきた。いくら気取っても表面をとり繕っても、彼の目には素顔しか見えないようだ。それがかっこいいものばかりなら納得もするのだが、自分が見たくない表情を突きつけられたりすると、実に気分が悪い。しかしいくらそう言っても、彼の信念は少しも揺るがない。だからこそ僕は、彼とずっとつき合ってきた。

 彼が東京を離れると聞いた時には、どうしちゃったんだよ、と思ったが、今回この原稿の依頼を受けて「のいえいしゅう」を初めて読み、彼が真剣に益子と向かい合っていることを知った。彼がいつの間にか僕の知らないポケットを持ち、そこにたくさんの出会いや発見をためていたことに、一種羨望のようなものさえ感じる。
 生き方は違っても、彼とはまたどこかですれ違い、一緒に仕事をするだろう。願わくばその時2人とも飲んだくれてなくて、ちゃんとしたミーティングができることを望んではいるが。


Special Thanks To Mr. Anbe



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