温眼冷眼・リレーエッセイ


 ミュージシャンという仕事をやっている連中の服装というと、いったいどんなものを連想するのだろう。黒のピチピチのジーンズ? ロンドンブーツ? 派手なスカーフにゴテゴテのアクセサリー? うん、確かにそんなやつもいる。ブランドをビシッと着こなしたやつ? あるいは、こんな服どこで探したんだろうと思いたくなるようなキンキラの衣装?
 音楽のジャンルがいろいろあるように、それをやる側にもファッションに対する様々な主張がある。着る側の心理、選ぶ側の心境について、僕の場合のステージ衣装のことに限って書いてみたい。
 ステージ衣装を探すにあたって、まず重要なチェックポイントは“汗”だ。
 ステージの上は以外に暑い。というよりもかなり熱い。オープニングと同時にたくさんのライトが一度に襲いかかってくる。僕の立つ位置のセンターマイクの場所は、当然一番熱い。昔、ライヴハウスでやっていた時に、低い天井からの強烈なライトのおかげで、マイクが火傷しそうに熱くなったこともあったくらいだ。続けて3曲も歌うと、もう汗がふきだしてくる。
 せっかく高いお金を出して買った服も、もうこうなると台無しに近い。だから明るめの色の衣装を着ている時に汗を計算に入れてないと、とんでもないところに汗の染みが浮かんでくることがある。薄手の白いシャツだったりすると、思わず乳首が浮きあがったりする(もちろん作為的にそうしているようなやつもいるわけだが)。
 そのブランドのデザイナーの方にしてみれば、自分が精魂こめてデザインした服が、まさかこんな風に汗でグショグショになるなんて考えてもみなかっただろうなと、いつも思う。申し訳ないと思いつつも、その服を着たいと思って選んだんだから仕方がない。
 衣装選びの次のポイントは“型”だ。
 というのも、これは僕の持論なんだが、ステージに立って動き回る時、女性の場合は髪の流れでその動きを表現することができるが、男の場合は(髪の長い人は別にして)やはり服の動きで体の動きをフォローしなければいけない。もちろん人間の肉体の動きは裸でいる時が一番美しいとは思うのだが、あいにくそんな趣味はない。ステージの上で踊ったりジャンプしたりする時(これまたデザイナーには申し訳ないが、たまには転げ回ったり、はいつくばったりもする)体の線を見せたり隠したりしてくれる服を探すことになる。
 このふたつのチェックポイントをパスした後にくるのが“キャラクター”だ。
 これは自分のキャラクターという意味でもあるが、もうひとつ、コンサートにおけるキャラクター作りということでもある。芝居などの場合は、役柄に応じて同じ人間が違う衣装を着て違うキャラクターを演じるわけだが、僕の場合はまず僕自身であるということの上に、ほんの少し別のキャラクターを乗せてみる。
 例えば、“嘘をつくのが下手な詐欺師”“心根の優しいペテン師”“シャイなジゴロ”というように。そうやって自分のキャラクターを転がして遊んでいるうちに着たい服が見つかることがある。
 前のLPで、ペテン師を主人公にした歌を作った。堅い絆で結ばれていた2人のペテン師が、仕事をしくじり離ればなれになる。映画“スティング”を思い出した。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが着ていたようなアメリカの30年代っぽい服はどうだろう……。
 さっそくアメリカの中古品を売っている店に行った。あるある。少し腹の出たおっさんが、これを着てブルックリン辺りで飲んだくれてたんじゃないかって服がどっさり。グレーに薄い縦縞の入ったスーツを選び、これに少し派手めのネクタイとチョッキを合わせ、グレーのソフトと思っていたが、どうしても欲しいコンビの靴が見つからない。結局大騒ぎしたあげく、この企画はボツになってしまった。
 さてどうしたもんだろうと、何軒か店をハシゴしている時に、一着のスーツを見つけた。色は濃紺で型もシンプルなんだけど着心地がいいし、生地の雰囲気が微妙にいい。“毛100%(キッドモヘア80%)”と記してある。
 この手の生地は、ライトが当たった時にコットンのように沈んでしまわないし、何よりもしなやかな感じがいい。試着してすぐにこれに決めた。僕にしてみれば結構高い買い物だったが、2時間半のコンサートを終えた後、やっぱりいいものはいい、と当たり前のことに妙に感心した。
 昔に比べると、男性の服の種類もはるかに多くなった。だがキャラクターという点に関しては、もっと自由な発想があってもいいのではないかと思う。僕のようにとんでもない注文を押しつけた上に、2時間半でクリーニング屋へ放りこむというわがままな客も確かにいるのだから。


(c)1987 Takuji Oyama