#02 と、決めたのはいいけれど
高校を卒業して、弓道から遠ざかり、31年がたった2007年、僕のオフィシャルファンコミュニティー〈ONE〉の撮影企画で、一度だけ弓道に再挑戦したことがある。
50歳を前にして、シンガーになってヒゲなんかはやして、また弓道をやることになるなんて、高校の時の自分に教えてあげたいくらいだ。
その日は、現役で弓道をやっている高校生に教えてもらいながらの3時間。袴の着方も忘れているし、弓を引く形もずいぶん指摘された。
弓は、1本ずつ引きの強さが違う。強い弓を使えば、矢は一直線に的へ向かう。女性は比較的弱い弓を使うが、形が決まっていれば山なりでも当たる。
弓を最大まで引くと、両腕がプルプル震える。普段あまり使わない筋肉を使っているということだ。呼吸を整えて震えを止め、狙いが定まったところで矢を射る。
写真を撮るための企画だから、ファインダーが僕に向いている時はキリッとしているが、もうちょっとのところで外したりすると、「惜しい!」なんて叫ぶ。道場では、あるまじき行為。
結局、的まであと10センチというところまでいったが、1本も当たらなかった。形はそれなりに決まったが、やっぱり“なんちゃって”な感じだったんだろう。
武道だから、当てるのが目的ではない。とはいえ、当たった時は、28メートル先の的と体と弓と矢が、一瞬、一体になる。その感触をもう一度味わいたかった。
3時間で、左の親指の内側の皮がむけ、翌日は上腕三頭筋(力こぶの裏側の筋肉)がパンパンになった。
その企画も1回だけのもの。あれから3年たった。
今の街に引っ越して2年目のこと、いつもと違う道を、少し遠回りして歩いていると、弓道場を見つけた。こんな近くにあったのか。
何人かの人が弓を引いていた。ちょっと躊躇したが、「見学できますか?」と聞くと、きさくに「どうぞ」と中に招いてくれた。
そこには、キリリと引き締まった懐かしい緊張があった。やっているのは年配の方が多い。女性もいる。
道場の隅に正座。弓を引く、ひとつひとつの所作が美しい。矢が的に当たる音が、体の芯に響く。この音を聞いたのは、高校を卒業して以来だ。何だかワクワクしてきた。ずっと音楽三昧で生きてきた僕にも、ひとつだけ帰る場所があるのかもしれない。
「やったことはあるの? 高校の時? それなら、きっと体が憶えてるよ。でもちゃんと思い出したいのなら、ちょうど来月からここで『初心者教室』が始まるから、それを受けてみれば?」
と、丁寧に連絡先などを教えてくれた。
「初心者教室」は、年に2回開かれているらしく、僕が道場を訪ねたのは、その半月ほど前というタイミングだった。これは、呼ばれているってことなのかな?
とはいえ、「初心者教室」かあ……。
この歳になると、新しい環境に入っていく踏ん切りがなかなかつかないし、どうもおっくうだ。ましてやこんな職業。「仕事は何ですか?」と聞かれるのが面倒だ。
以前、いつも行っている美容院が休みの時、しょうがなく近くの美容院に行ったことがある。若い女性の美容師さんが担当してくれて、お決まりのフリートークが始まる。こいつがどうも苦手だ。こんな風体だし、平日の昼間に行っているから、たいがい「お仕事は何されてるんですか?」と聞かれる。返答に困る。「普通の仕事ですよ」と答えたら、
「そうなんですか? 芸能人みたい」
「いや芸能人じゃないですよ」
カットが終わる頃にまた、
「ほんと芸能人みたい」
「いや芸能人じゃないですよ」
げんなりした。
自分が芸能人だという意識はまったくない。が、まあ、似たようなものだと、人から見れば思われるだろう。
以前、短い期間、大田区に住んだことがある。町工場が密集しているような地区だった。駅前の不動産屋で部屋を紹介してもらい、不動産屋のおじさんと物件を見に行く道すがら。
「仕事は何してんだい?」
ここで「歌手です」なんて言うと、たいがい妙な目で見られるし、最悪、入居を断られる可能性もある。こういう時は「音楽の制作をしてます」と答える。あながちウソというわけでもない。
だが、おじさんは理解できなかったらしく、
「え? 何の仕事?」
「だから、音楽を作ってるんです。CDを」
「ああ、CD作る工場(こうば)か」
この誤解だけは解かなければと、ロッカーとしてのプライドが働いた。
「違うんです。中身を作ってるんです。スタジオに入って」
おじさん、急に目が輝いた。
「へえ。じゃあ演歌とかもやるの?」
きっとおじさんには、八代亜紀のサイン色紙が浮かんだんだろう。
「いえ、主にロックです」
「何だ、そうかい」
おじさんの興味もここまでだった。
弓道は、引く力だけしかいらないように見えるけれど、意外に全身の筋肉を使う。ゆっくりとした動作は、ヨガにも通じるかもしれない。それに集中力が増す。姿勢を矯正するのにも向いていると思う。
よし! もう1回やってみよう。
目指すは、高校の時に取れなかった二段だ!
まずは〈初心者教室〉への申し込み……。
うーん……。
それはまた次のお話。 |