矢を、射る

#08 いよいよ本格始動

 初心者教室を卒業して、いよいよ初めて1人で弓道場へ。これからは決められた時間に道場に行くのではなく、自主的に通うことになる。
 新しい環境って、馴染むのに時間がかかる。こう見えて人見知りだから、テンション上げていかなきゃ。
 え、何? 人前で歌ってるくせに人見知りもないだろうって? とんでもない、ロックシンガーなんて、ほとんどみんな人見知りでシャイなやつばっかり。
 人前で自分の気持ちをうまく説明できないもんだから、しょうがなくて歌を作っている。
 女性にひと言「好きだ」って言えばいいものを、うじうじと部屋にこもって何曲もライヴソングを書いている。ロックシンガーを一皮むけば、だいたいこんな感じだ。
 逆に、そうじゃないシンガーの歌は信用できない。音楽以外に得意分野を持っているやつの歌は、ウソっぱちだと思う。
 僕はね。

 ある午後、初心者教室で使った大きな道場ではなく、うちの近くの小さめの道場へ。入ると、知らない顔の人たちがいっせいに僕を見る。
 初心者教室の講師をしていた方の顔も見える。僕のお尻を褒めてくれたおば様もいる。
「おはようござ……」
 違う、これは業界用語だ。
 あくまでもさわやかに、「こんにちは。今期の初心者教室に参加しました、小山といいます。よろしくご指導お願いします」
 まずは神棚に礼かな。
「着替えをして、礼をして、それから挨拶をしなさい」
 いけね、いきなり怒られちゃった。

 控えの部屋の方に、先日注文していた袴と帯と弓道衣と足袋が届いていた。
 ちょうど、講師を務めてくれた方がいて、ちょっとホッとする。
「すいません、いろいろ教えてください」
 袴の着方からすっかり忘れている。
 講師の方が、帯の巻き方、袴のつけ方を丁寧に教えてくれる。さらに、袴のたたみ方。これが複雑。紐はまるでパズルのようだ。でもこれがちゃんとできていれば、皺にならないし、着る時も楽に着られる。

 講師の方は、弓道衣の下に肌着、袴の下にステテコを着用。最近のお洒落なやつではなく、純正ステテコ。
 ステテコか……いやいや! ここでステテコを履いてしまったら、僕のロック人生、終わるだろ。
 でも、白のTシャツも持っていない。ライヴの衣装で買った、ちょっと光る素材のタンクトップならあるけど、って光ってどうする。

 同じ初心者教室に通っていた男性も来ていて、着替えた袴の裾をパタパタさせながら、「なんか、スカートみたいですね」と、心許ない笑顔。
 念のために持っていった腰の「小山」の名札は、他の初心者の人がつけていたから、しょうがなくまたつける。その紐を、ちゃんと袴の紐の中に入れて見えないようにするよう指導される。「形がいい」ということは、弓道全般において大原則なんだな。
 ようやく着替えをすませ、改めて道場へ。礼をし、みなさんへ挨拶。

 矢だけは自前のものを持参したが、弓やかけは備品をお借りすることになるから、一段上がった畳の間の、奥の押し入れに仕舞われている弓とかけから、自分に合う強さやサイズのものを選ぶ。
 選んだものに書いてある番号を忘れないように畳の間で正座してメモを取っていたら、「下座の方に座りなさい」。
 あ、はい、すいません。……なんか、気ぃ遣うなあ。

 控えの部屋にある、巻藁(まきわら)で準備運動。
 薪藁とは、藁を米俵くらいの大きさにきつく束ねたもので、それに向けて矢を放って練習するもの。薪藁用の矢が別にある。
 射法八節を体に思い出させながら、何度も放つ。

 改めて道場へ。まずはみなさんの動きを見て、邪魔にならないタイミングで射位に立つ。一番うまい人が立つ5番手の落(おち)の場所は避けて。
 矢筋が揺れて、まっすぐ飛んでいかない。というか、とんでもない方向に行く。
 前回の2本的中は、弓道の神様が僕を調子に乗せるためにやった、茶目っ気かいたずらだったのかも。

 講師を務めてくれてた方が言う。
「座射から練習した方がいいね。私がやるから一緒にやってみなさい」
 ありがたい。
 細かくひとつずつ、ていねいに教えてくれるんだが、そこで使う専門用語が分からない。
「腰を切って」
 って何だっけ? ああ、腰を上げることか。こりゃ、先は長いぞ。
 座射の場合、両足の指を立てて腰を落とし、お尻はかかとにつける。右膝は床につけるが、左膝は手のひらが入るくらい床から浮かせる。その体制で矢をつがえてから立つ。
 スクワットの途中で止めているような感じだ。これはもろに筋肉に来るぞ。

 ひとつひとつのアドバイスに、「はい」と答える。
 考えてみれば、こんなにはっきり「はい」と答えることって、最近めっきりない。いかに音楽業界がユルユルなのかが分かる。

 僕より少し年上くらいの男性が射位に立つ。綺麗な形だ。矢の速さから、けっこう強い弓を使っているようだ。
 合間に談笑。
「小山さんは、昔やったことがあるんでしょ?」
「高校の時ですから、30年以上たってますけど」
「じゃあ私と一緒だよ。私も高校の時にやってて、ここに通い始めて1年になる」
「弓の強さはいくつですか?」
「私のは18。もう少し体を作ったら強いのにしようと思ってる」
「僕なんか、まだヘナチョコですね」
「体を作ってからにしないと、形が崩れるからね」

 講師の方に聞くには忍びない、基本中の基本のことを教えてもらう。
「矢尻が1本欠けてて、弦にはめた時にゆるいんです」
「ああ、これは直してもらった方がいいよ。せっかく素材が鹿の角だし」
「そうなんですか。プラスチックだと思ってました。あと、なんかまっすぐ飛ばないんですよね」
「矢が曲がってるねえ。これだと矢筋に影響が出る。これも直してもらえるよ。長く使ってると、土に刺さる先の方が、微妙に曲がっていくから」
 なんだ、矢のせいだったか。いやまあ、それだけでもないんだろうけど。
「せっかくまた始めたんだから、何か目標が欲しいでしょ。今月末に大会があるから、出れば?」
「いやいやいやいや! まだ全然駄目ですよ」
「個人戦で出れば、賞品がもらえるよ」
「いやいやいやいや!」
「じゃあ私と組んで団体戦に出ない?」
「いやいやいやいやいやいやいやいや!」
 買いかぶりにも、ほどがある。

 道場の雰囲気も何となく分かり、ペースをつかむところまでは行かないが、何とか続けていけそうな気がしてきた。

 よし、今日はこれであがろう。
「お疲れ様でした!」
 えっと、これも業界用語なんだっけ?

 ようやく本格的なスタート。とはいえ、まだまだ先は長い。遠い道のりだな。
 それはまた次のお話。


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