矢を、射る

#9 まさかの「自称 初段」

 ネットで弓道具を取り扱う店を検索し、矢を入れた矢筒を持って出かけようとして、ふと思いついた。矢が直るんだったら、あの割れちゃった弓も直らないかな。駄目元で持っていってみよう。

 普段、電車に乗っていたりして、学生さんが布で巻いた弓に矢筒を結んで歩いているのを見ると、懐かしくて、つい目が追いかけていた。
 30年以上ぶりに、その状態で電車に乗る。これが意外に大変だ。弓の長さはざっと2メートル20センチ。下げた手に持って歩くと前後に長すぎ、縦に持つと上がいろいろなものにぶつかる。電車の入り口でぶつけ、駅構内を歩いていて時刻表示ボードにぶつける。都会の2メートル20センチより上は、障害物だらけだ。

 店に着いて、弓と矢を見せて説明する。この道50年みたいなおじいちゃんが見てくれる。
「矢は相当前のものですね。これだけ曲がってたら、まっすぐ飛ばないです。古い矢は乾燥してますから、直すのに10日くらいかかります」
「弓は直りますか?」
「そうですねえ。これだけ割れてたら結構かかります。新しく買った方がいいかもしれませんね」
 最近の家電みたいだな。

 何度か道場に通った後、ツアーが立て続けに入り、その準備やリハーサルで大わらわで気持ちの切り替えができず、道場から足が遠のいてしばらくたった。
 季節が変わっている。
 やばい、それでなくても初心者逆戻り状態なのに。

 ひさびさに丸1日空き、修理が終わった矢と弓道着をそろえる。
 頭の中で帯のしめ方や袴の着方をシミュレーションしてみて、どうもうまくいかない。ここはひとつ予習しておこう。
 弓道衣に着替え、帯を巻く。片方を余らせて……あれ、上に出すんだっけ下に出すんだっけ。グルグル巻いて、結んで、あれ分かんない、なんかこんな感じの蝶結び、って、そんなわけにいくかっ!
 袴は、前紐を腰で一周させて前で結んで……後ろ紐を前に持ってきて前紐に結んで……合ってんのか?
 いったん脱いで袴を畳む練習。この紐をこっちへ……駄目だ、全部抜けてる!

 困った時のインターネット。「袴のたたみ方」で検索。あったあった。恐るべしネットの情報量。
 よし、予習完了!
 これで僕は、袴もたためるロックシンガー。

 ひさしぶりに道場へ。テンションも上げなきゃいけないんだが、まずは自分の弓道を思い出すことが大切。気持ちを落ち着けて。
 着替えて挨拶。初めてお会いする人もいる。
「今期の(いや、ひょっとすると今期のひとつ前になるのかも)初心者教室に参加しました、小山です」
 ひとりのおばさまが笑顔で聞いてくれる。
「じゃあもう半年くらいやってるんですね」
「いやそれが……仕事が忙しくて、なかなか来れなくて。だからまだほんとに初心者です」

 初心者教室に参加していた男性がいて、笑顔で挨拶。
「いろいろ慣れました?」
「いやあ、まだまだです」
 自分だけ遅れを取っているんじゃないかと思っていたから、ちょっとホッとした。昔の経験があるとはいえ、今はついて行く立場だ。

 弓とかけを取り出し、まずは薪藁へ向かう。体が思い出さない。何度もくり返す。
 ふと見ると、控えの部屋の壁に木の名札が並んでいる。上段者が上だ。下から2番目の“初段”のところに、真新しい木札に書かれた自分の名前を発見。なんか、やばい。こんなに来ていなかったのに。
 カタカナの外国人の名前もある。

 道場に戻り、射位に立つ。修理した矢を使ってみる。今までより当たる確立が高くなった。
 何人かが放った後は、その中の1人がかけを外し、的のところまで矢を取りに行く。
 これは新人の仕事だろうと、かけを外していると、先を越されてちょっと焦る。戻って来た人に「ありがとうございます」。
 今度こそ。早めに放って、かけを外して、タイミングを見計らって急いで取りに行く。
 初心者で、新参者。そんなことが気になって、なかなか身が入らない。
 思い返してみれば、高校の時は部活だから毎日やっていた。1日100本くらい放つこともあった。今くらいのペースでやっても、体に入れるのはむずかしい。

 午後にはたまに、コーヒーとお茶菓子が出る時間がある。初心者教室の講師で来てくれていた女性が声をかけてくれる。
「小山さん、コーヒー入ってますからどうぞ」
 談笑の途中で聞いてみる。
「あの時の受講者の人たちは、今も来てますか?」
「ええ。でも全員というわけでもないです」
 前に基本的なアドバイスをもらった方もいらっしゃる。
「矢を直してもらいました」
「そう、よかったね。その矢は今は高いから、練習用にジュラルミンとかの矢を買った方がいい」
「そうなんですか?」
 畳に座っていた方が、僕に聞く。
「昔、初段を取ったんだったね。賞状のようなものはある? それがないと証明できないからね」
 証明?
「いつ頃、どこで取ったか分かれば、調べてもらえるよ」
「あれは、昭和何年になるのかな……」
「昭和40年以降だったら調べられると思うけど」
「もし確かめるものがなかったら、僕は自称初段ってことですか?」
「そういうことだね。その場合は初段の試験からやり直しになる」
 そんなあ。
「分かりました。調べてきます」

 やばいことになってきたぞ。
 それはまた次のお話。




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