矢を、射る

#10 それはまた、いつかのお話

 全日本弓道連盟に電話して、問い合わせる。
「高校の時に昇段試験を受けて、初段を取ったのですが、それを証明する方法はありますか?」
「確認は手作業になりますので、しばらく時間がかかります」
「よろしくお願いします」
 2時間ほどで、折り返し電話をもらった。
「確認が取れました。昭和49年10月10日、熊本で初段を取られています」
 よかったあ!
 後日、千代田区神田神保町の事務局から、認許状が届いた。これで僕も、正真正銘の初段取得者というわけだ。

 リハーサルやツアーが続く中、時間を作って道場へ行き、ギターを弓に持ち替える。あいかわらず、腰には名札。
 左手の親指の内側に、弓をしぼるタコができた。ちゃんとしぼれているってことか。ギターを弾くのに影響はないかな。
 まだまだ矢筋が安定しないが、4本放てば1本か2本は当たるようになってきた。

 矢を取りにいく。外した矢も、的の周りに集まってきている。
 的の近くで、小学生たちが興味津々で見ている。タオルで矢を拭きながら声をかける。
「おもしろそう? 中で見学もできるよ」
 小学生たちは、ちょっと嬉しそうに笑って、「ここでいいです」。

 周りの方たちから、いろいろと指摘をいただく。
 大きく打ち起こす。高く引き分ける。 胸を開く。かけでひねらない。ひじを張らない。自然に下ろす。左手首を入れない。もっとしぼって。
 全否定じゃん!
「高校生の弓道は、力づくで引いてたりするからね」
「あ、そんな感じでやってた気がします」
「高校弓道は、いったん全部忘れた方がいいよ」
 僕の弓道って、間違いだらけってことか。

 かけが、どうもしっくりこない。借り物だからしょうがないが、安物のギターを弾いて、コード“F”が押さえられない感じに近い。
 弓も、グラスファイバーの弓は竹と違って、矢を放った時の衝撃がガクンときて、しなやかじゃない。
 やっぱり自分の弓とかけが欲しいところなんだが、新しいギターも買いたいしなあ……。

 年配の男性が圧倒的に多い中、若い女性もたまにいる。今日は2人いらっしゃっている。2人とも高校の時にやっていて、この道場に通い始めたという。そういう人は多いな。
 「小山さんはおいくつなんですか?」と聞かれて歳を言うと、2人そろって目をむいて「エッ!」。
 年齢を言った時の、この手のリアクションはもう慣れているけど、それにしても、エイリアンにでも会ったような表情だ。
「段は持ってるんでしょ?」
「ええ、初段です」
「何で名札をつけてるんですか?」
「いやあ、初心者に毛がはえたようなもんですから」
 講師をやってくださった方が言う。
「もうそろそろ名札はいらないよ」
 ありがたいひと言だ。

 来月、四段の昇段試験を受ける方が、先輩から指導を受けている。四段の場合は、着物で座射だ。あんなに綺麗な弓道をしているのに、まだ指導されることがあるのかな。
 後ろで、その指導を聞く。肩の入れ方、肘の張り方。言っていることが高度すぎて分からない。

 午後には、みんなでお茶の時間。
「小山さんも、昇段試験を受けてみれば?」
「まだ座射もマスターしてませんから」
「学科試験もあるから、勉強しなきゃね」
 学科? そんなの、あったっけ。
 すっかり背中が曲がっている、ご高齢のおばあちゃまが言う。
「あなたね、若いんだから、もっとおーき、く引き、なさい。そしたら、きれーな、弓道に、なるわよ。がんばんなさい」
 息も絶え絶えな感じ。
 おばあちゃんと話す機会なんて、あまりない。何だかすごく嬉しかった。

「試験が近い人もいるし、座射の練習をしてみようか。小山さんも入って」
 5人で並び、射位に立つ。僕は二番手の「二的(にてき)」。
 道場が静まり、午後のゆったりした雰囲気が、引き締まった空気に変わっていく。
 一番手「大前(おおまえ)」の人が矢をつがえ、スッと立ち上がり、形が決まったところで、僕も立ち、矢をつがえて待つ。

 ここへ通うようになって、今までとはまったく違う人たちとの関係が生まれた。それは、音楽の世界だけでは味わえないものだ。

 矢が放たれ、「パン!」という音を聞き、僕も打ち起こしに入る。僕と的の間には、濃い緑の芝が輝いている。28メートル先にある一尺二寸の的を見る。
 弓を引く。キリキリと弦が鳴る。

 人と違って当たり前、人と同じでは仕事にならないのが音楽。
 形を合わせ、呼吸を合わせ、流れるような所作でやるのが弓道。
 静謐な空気を吸い、一点に集中すると、気持ちが深く澄み切っていく。これが弓道を始めて、改めて発見したものだ。

 弓をいっぱいに引き分ける。ゆっくり息をする。少し冷たい空気が肺に収まる。微かに弓が揺れるのを押さえるため、もう一度長い呼吸をする。矢尻に焦点を合わせる。それから的に焦点を。矢の軌跡が見えてくる。

 このコラムを読んだことがきっかけで、僕を応援してくれているファンの女性が弓道を始めたというお便りをもらった。その彼女、今や有段者になっている。楽しく続けているみたいだ。
 それから、女性ファンの息子さんが、高校生になって弓道部に入ったというお便りももらった。
 弓道の世界がどういうものか、知る機会はさほどないと思う。このコラムを読んで、少しだけでも知ってくれたら嬉しいと思っていたが、実際に始めた人がいると知り、本当に嬉しく思う。
 弓道の魅力を、もっとたくさんの人に伝えたいと思っているが、それはまた、いつかのお話。

 理想の大人に向けて、矢を、射る。

 了


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