新しい音楽と出会いたい 08.01.1999


 新しい音楽と出会いたいと、いつも思っている。殴られるような感動を音楽で味わいたいと、いつも思っている。
 僕がまだ10代の頃、音楽を聴いて何度も涙をこぼしたことがある。そんな経験がここのところさっぱりない。僕の気持ちに合う音楽が生まれてこないのか、それとも僕の感性が鈍ってしまったのか。

 以前、テレビで吉田拓郎さんがこんなことを言っていた。
「グレイを聴いても、どこがいいのか分からないんだよ。それがすごくくやしいんだ。“あの歌のあそこがいいんだよね”なんて喋ってる若い子の会話に入っていけない。でもあれだけの人数がいいと言ってるんだから、きっと何かがあるはずなんだ。
 僕と同年代の男が、“最近の音楽は分かんねえよ。拓郎、そろそろ俺たちをうならせるような歌を作ってくれよ”って言う。何を言ってんだ。最近の歌が分かんなくなったおまえらが駄目なんだ」
 50歳を越えた拓郎さんが、今も音楽と向かい合っている姿が嬉しく、そしてその言葉に大きくうなずいた。

 だが、音楽を聴いて分析をすることには意味はない。大切なのは、その音楽が自分にとって必要なものになるか、ということ一点でしかない。言葉しかり、サウンドしかり。
 音楽を仕事にして以来、職業病なのか、どうしても純粋に音楽を楽しむだけで聴くということができなくなってしまった。無意識のうちに冷静に分析を始めてしまっている。アレンジ、フレーズ、曲の組み立て、言葉の使い方。
 出版関係の仕事をしている友達も、こう漏らしていた。
「本を買っても、その装丁やデザイン、文章の構成や言葉の選び方なんかが気になって、なかなか中身に入っていけないんだよな」
 映画の仕事をしている友人も、カットのつなぎ方、照明の当て方、カメラの絞り、果てはフィルムの種類まで気になる、なんて言ってた。それを聞いて、映画にくわしくなくてよかったと思った。音楽で感動できなくなって、その上映画でまで感動できなくなったら、たまらない。
 暇がある時は、いつもラジオを点けている。もっぱらインターFMを聴く。ここが一番余計なおしゃべりが少ないし、邦楽もあまりかからないからだ。海外の音楽だと、まずは拝聴しようという姿勢でいられるが、邦楽は、正直なところ少し斜めに聴いている。いろんな裏の事情や思惑が見えてしまったりして、いやな気分になる。一度聴いて嫌いになった歌がヘビーローテーションで何度も流れたりすると、舌打ちしてFENに変えてしまったりする。これは職業病というより、単なるひねくれた性格のせいだ。
 イントロを聴いただけでグッとくる歌に巡り会うことがある。その時は妙な分析なんかぶっ飛んでしまう。嬉しくて何度も聴く。そしてその歌は、僕の大切な歌になる。
 ヒットチャートをにぎわしている日本のロックをまとめて聴くことがある。中には、へえ、かっこいいじゃん、とニコニコしてしまう歌もあったし、途中で吐きそうになった歌もあった。ただ何か、僕が追ってきた音楽と根本的に違うものを、ここのところ感じてしまう。それが何なのか、まだつかめない。それを知りたい。感じたい。

 音楽が消耗品になったと言われてひさしい。
 朝日新聞にこんな記事があった。マーケティングリサーチャーの三浦展という方のコラムだ。
「宇多田ヒカルや〈だんご三兄弟〉がメガヒットする昨今、もはやCDは缶コーヒーなのではないか。コンビニで缶コーヒーの新製品を見つければ買ってみるのと同じように。缶コーヒーが喫茶店のコーヒーではないように、今やCDは個人がこだわりをもって選ぶ趣味・文化ではない」
 なるほどなあ、と納得はするんだが、腑に落ちない。
 もう音楽で感動することなど、期待しちゃいけないんだろうか。
 いや! そんなことは絶対にない!
 マーケティングをねらい打ちする音楽を作る人もいるし、自分の信念を貫いて音楽と取り組んでいる人もいる。どちらが正しくてどちらが売れてるかなんて、少なくとも僕には関係ない。
 僕は安室奈美恵の歌を聴いて泣いたこともあるし、大好きなアーティストの新譜を聴いてゴミ箱に放り込んだこともある。人の心を動かす音楽は、どんなものにせよ大きなパワーを持っているものだ。分析なんて、才能のないディレクターに任せておけばいい。僕は僕にとっての宝物になり得る音楽を探し続けるだけだ。そして自分にとっての宝石になり得る音楽を作り続けるだけだ。

 テレビで大相撲の中継を見ていると、勝利インタビューを受ける力士が、馬鹿のひとつ覚えのようにこう言う。
「自分の相撲を取るだけです」
 自分の自信のある取り口を稽古で磨きに磨き、その一点で勝負する。そこでなら絶対に負けない自信を持つ。きっとそういう意味なんだろう。
 僕も同じように思っている。意固地に愚鈍に自分の音楽を突き詰めていく。例えば右四つ得意なら、右四つにこだわり続ける。
 そして同時に変化を求める。常に激しく変化を求める。
 矛盾じゃない。自分にこだわることと、自分の殻に閉じこもることは、まるで別だ。
 右四つ得意でも、それを相手に見透かされてしまっては元も子もない。立ち会いで強烈な張り手をくらわし、相手がひるんだところで、得意の形に持ち込む。相手が寺尾なら、真っ向から突っ張り勝負に出る。ここで1敗したって残り14日ある。
 負け越しが続いて十両に落っこちても、得意の右四つで十両優勝して幕内にカムバックだ。目指すは小結? 関脇? 冗談じゃない。横綱を目指さない力士なんていないさ。

トップに戻る


(C)1999 Takuji Oyama