本文より抜粋

2月13日
 車に乗りこみ、八郎潟へと入っていく。どこまで行っても平らな土地だ。100mに1軒位 の間隔で家が建ってい
る。ちょうど真ん中辺りに位置する所に車を停めた。アスファルトの道路に直角に交差して、雪の農道が遠くに霞む山までまっすぐ続いている。車を降り、その道を歩いた。かなり歩いて振り返ると、俺達の車がポツンと点のように見える。
 深呼吸をした。圧倒的な白の世界だ。風が止み、周りがシンと静まり返った。シンという言葉さえうるさいぐらいの無音の世界。都会ではどんな真夜中でも音がなくなることはない。
 体中の感覚が敏感になってくる。頭で考える前に、皮膚が何かを感じとっているのがわかる。毛穴から何かが入りこんでくる。色々な物がはっきり見えるような気がする。

 俺は今、何か……何か大きな力に包まれている。大きな力に抱かれている。
 ふと、風の音を聴いた。うなだれていた沢山のすすきの穂がふいに動きだす。始めはサラサラ、サラサラと、そして風に答えるようにして鳴りだした、チラチラ、キロキロ、チラチラ、キロキロ……。雪を踏みしめる俺の靴の音がそのメロディにコーラスをつける。
 周りの風景の総てが詩になった。それは最初から詩だった。ただ、俺が気がつかなかっただけのことだ。俺は歩きながら、歩くことで詩を読んでいる。呼吸をすることで詩を読んでいる。
 俺は今まで何をやっていたんだろう。こんなにもたくさんの詩が目の前にあるのに、たったこれだけしか、たったひと握りしか手にしていない。遠い海の向こうばかりを見過ぎて、足元の一編の詩を踏みつけていた。
 風が歌い、大地が歌う。それに比べて、俺はなんてちっぽけな存在なんだろう。大いなる自然の中、俺は1匹の虫でしかない。地べたを這いずり回ることしかできない、高慢で弱々しい虫でしかない。

 吹雪が追って来ているようだ。−2度。車に乗りこみ、八郎潟に別れを告げる。窓の外の相変わらずの雪と、埋もれるようにして建つ家々を見統ける。
 雪国へ来て、心のどこかで、こんな所に生まれたやつはかわいそうだと思っていた。だ
が、それは東京で暮らす人間の傲慢な思いこみにすぎないのかもしれない。
 俺達はいつもどこかで、つまらない争いに身をやつしている。だがこの土地に住む人々
は、最初から勝ち負けなど気にしていない。そんな価値感で生きてはいない。
 勝ったと思うから負けたくなくなる、負けたと思うから勝ちたくなる。だが、勝利を手にした者はいずれ負けを知る。そんなことを考えている俺達のほうが、よっぽど低い次元にいる。
 この土地は、色々なことに意味などつけようとしていない。ただ生きているだけだ。ただ生きているということが、俺達にとってどんなに難しいことか。
 生きていることが美しいことだと、俺達に言うことができるだろうか。勝負などする必要はないと、笑うことができるだろうか。
 この旅が終わって東京へ帰れば、俺はまた否応無しに、自分の意志とはかかわりなく、あの街のサバイバル・ゲームに参加しなければならない。あの街に住んでいる限り、抜けることなど許されない。それはあの街では負けとみなされる。それでもいいと笑えるほど割り切れちゃいないし、やめるつもりもない。だが、勝負とは第三者がいて初めて成り立つものだ。生き残るためには誰かを倒さなければならない。そして自分を知らない者はいずれ自ら死んでいく。それがあの街のゲームだ。
 俺は誰かと戦いたい訳じやない。自分にとっての真実と向かい合いたいだけだ。

(c)1999 Takuji Oyama