電話でマネージャーの方に「僕はエイズなんです」って説明しました。そして事務所に伺って、「もし、可能なら元気づけてもらえるような歌を」ってお願いした。 それから半年以上たって、曲が突然届いたんで、本当にびっくりした。見知らぬファンの依頼に対して、いったいなにを感じて作ってくださったのかなあって。
小山 最初、こういう男が尋ねてきた、と事務所から聞いてね、単純にびっくりしたんですよ。デビューして10年以上になるけれど、仕事以外で、個人的に曲を作ってくれ、といきなり尋ねてきたのは、実は大貫くんが初めてだったんです。「なんなんだ、この男は」って戸惑った。そして一部始終、話を聞いて、どうしようかと思った。断るのは簡単だけれど、よく考えてみたかった。 そのころちょうど、平和のためのコンサートが開かれたり、ストップ・エイズ・キャンペーンでミュージシャンが肩を抱き合って、がんばろうって叫ぶようなチャリティー・コンサートが増えてきていたんです。僕はそういうのが大嫌いだった。というか、人と一緒に世の中のために、というのがどうも居心地悪かった。で、依頼がくると全部断ってきたんです。でも、断るのには理論武装が必要でしょ。だから、自分なりに理由を考えてみたんです。で、どうやら僕は、人と一緒にチャリティーとかやるのが、いやらしい。僕だったら1人でやるだろう、と。仲間を集めてどうのっていうのではなく、誰かに力を貸したいと思ったら、1人でできることに自分1人のカを貸せばいいんじゃないか、って。 ちょうどそんな時に、大貫くんの話があったんです。僕はエイズに対して世間並みの情報しか持っていなかったし、特にエイズ問題に関心があったわけではなかった。だけれど、これはもしかしたら僕にできることではないか、という気がしたんですね。今までチャリティー・コンサートに出なかったけれど、もしかしたら、これこそが僕にできることなんじゃないかって。
(中略)
小山 大貫くんの曲を作ってみようという気持ちになったけれど、どういう曲にすればいいか、最初すごく悩んだんです。僕との接点が、いったいどこにあるのか、と。エイズそのものについて歌うべきか、血液製剤の間題について怒りをぶつけるような歌なのか。でも、怒りというのは、僕にとってリアリティがないな、と。それで、僕がウソでなく歌えるテーマはなんだろう、と考えた。ポンと肩をたたいて、「がんばれよ」って言えればそれでいいわけだけど、そんなことを言えるほど、僕はでっかい人間じゃない。 彼には愛し合っている女性がいて、一緒に暮らしていると聞いたんで、そうか、すごく個人的な、彼と彼の愛する人、彼を理解してくれる周りの人だけのために、ラヴソングを作ればいいんだ、と気づいた。それだったら僕にも作れるだろうと。半年くらいかかったかな。やっと歌詞を書き始めたんです。 ちょうど「Rocks!」というアルバムのレコーディングの最中でしたね。時間的には忙しい時期だったけれど、そういうことはあまり関係がないんです。熟したというのか、浮かんでくるものだからね。あの時は、歌詞とメロディがほとんど同時にできました。そういう形が一番いいんです。 テーマが固まってからできあがるまでは早かった。たまたま当時、僕の部屋にいっぱい機材を持ち込んで「Rocks!」のデモテープを作っていたんです。だから、ギターのやつに「ちょっと仕事じゃないんだけれど、弾いてくれ」って。「この曲は真面目に。間違えるなよ」なんて言いながら。
大貫 いきなりカセットテープが届いた時、ギター1本の曲だろうなあ、と思ったら、ちゃんとレコーディングしてあったんでびっくりしたんです。ほんとに嬉しかった。
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