キリギリスの決心 02.11.2002


 2月14日、RED & BLACKは公式オープンして1周年を迎える。たくさんの人がここを訪れてくれた。心からありがとう。これからもこのサイトは変化を続けながら、新しい表現と素敵なコミュニケーションを見つけていこうと思っている。お楽しみに!


 去年の話になるんだが、オフの日にひさしぶりに恵比寿をぶらついていた。立ち並ぶお洒落な店をのぞき、テラスでサンドイッチを食べ、そろそろ帰ろうかと歩いている時、こんなところにあったのかというほど目立たない小さなショーウィンドウを見つけた。シルバーのアクセサリーがさり気なく飾ってある。中に入ってみると、とても小さな店だ。黒を基調にしたシックな内装で、不思議な雰囲気のBGMが微かに流れている。ショーケースに陳列されているリングやネックレスやブレスレットは、どれもシンプルで繊細だ。若い店の人に話を聞いてみると、四人の仲間とこの店を作り、すべて手作りで、水をイメージした作品を作っているという。シルバーと水の組み合わせという発想が面白い。
 ケースの中にあるひとつのリングが目にとまり、はめてみた。見た目はまったく普通のシルバーのリングなんだが、裏側に装飾がほどこしてある。これ、いいなあ。
 サイズが合わなかったため作ってもらうことにし、後日またその店を訪れた。その時に、また別のリングに目が止まった。セパレートになったふたつのリングが、波をモチーフにしたという曲線でピタリと合わさっている。ひとつは光るシルバー、ひとつはざらついた表面のシルバー。そのふたつの合わせ方が独特で、知恵の輪のようにひとつの方向からしか合わないようになっている。これもいいなあ。
 結局ふたつのリングを買った。店のスタッフがそのリングを香炉のような形の素焼きのケースに入れ、布の袋に入れてくれる。これも両方とも手作りだそうだ。
 すっかり気に入って、ここのところいつもそのリングをはめている。もし機会があったら、立ち寄ってみたら? 店の名前は「H2O」という。

 その店で右手の中指のサイズを計ってもらった。どうやら僕の指は普通の男性に比べて細いらしい。自慢でも何でもない。つまりは力仕事をしたことのない手だ。生活力のない手と言ってもいいかもしれない。せいぜい左手の指先にギターダコがある程度だ。女の子に「ビンのフタを開けて」って頼まれて、開けれなくて幻滅される手だ。ギターを弾いて歌うことだけでずっと来たから、日常生活にはまるで無頓着で、不得意なことだらけだ。まるでイソップ童話の「アリとキリギリス」に出てくる、脳天気なキリギリス。
 子供の頃に「アリとキリギリス」を読んで得た教訓は、もちろんのこと「一生懸命働く方が幸せになるんだよ。遊んでばっかりいるとキリギリスみたいになっちゃうよ」というものだった。しかし僕は、どうやらキリギリスを職業に選んでしまった。うーん困った。そこで開き直った。
「冬になったらキリギリスはお腹をすかせて可哀想だっていうけど、今時はコンビニもあるし、エルニーニョの影響でここのところ暖冬だし、意外と生き延びちゃうんじゃないかな?」
 そうやって僕はご機嫌なキリギリスの人生を選び、寒い冬のことなど考えずにスキップしながら歌ってきた。
 だけどここに来て、僕の中でこの童話の解釈が変わってきた。
 夏の間中ずっと歌い続けてきたキリギリスの歌声は、たくさんの人を幸せにはしなかっただろうか? 額に汗して働くアリに、人生の賛歌のように響かなかっただろうか? そんな人生も素敵だね、と憧れを抱かせなかっただろうか?
 キリギリスの歌声、それこそがエンターテイメントだ。人を幸せにする職業の人間は、自らをすり減らし、切り刻むことでしかそれをできない。それでも羽をすり切らせ、喉から血をにじませても、踊り、歌うことしかできない人間が世の中には確かにいる。そしてそんな人間たちがいなかったら、世の中は殺伐としたものになるだろう。鼻歌を歌わない人間なんていない。娯楽を必要としない人間なんていない。世の中にはキリギリスが必要だ。その歌声があるからこそ、アリは夏の暑いさかりに働くことができる。
 今、この童話から僕が感じるのは、教訓なんかじゃない。死に様のことだ。
 きっとキリギリスの一生は短いだろう。歌えなくなったキリギリスは、生きていても死んだことと同じだ。そして死ぬ間際、キリギリスはきっとこう言うだろう。
「ああ、素晴らしい人生だった」
 キリギリスは後悔しながら死ぬのではない。たくさんの人々に幸せをもたらし、その笑顔を心に刻みながら満足して死んでいく。もしかするとアリよりも遙かに幸せな気持ちで。

 教訓に純朴にうなずいていた少年は、こんな大人になってしまった。もちろん後悔などこれっぽっちもない。このバチ当たりのキリギリスは、今年もギターを抱えてたくさんの人々へ歌を届けようと思っている。それが人々の幸せにつながることだと、真っ向から信じて。


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