September 11 10.05.2001


 僕の誕生日だった9月16日、部屋で小さなパーティーを開いた。テーブルの上には持ち寄った手料理やデパ地下のお総菜、白ワインと数個のグラス、ささやかな花束。プレゼントとほどいたリボン。穏やかな笑顔と会話。そして音を消したテレビからは、同時多発テロの続報が流れ続けていた。
 共通の友人が1人、仕事でニューヨークに滞在していた。まだ安否はつかめていなかった。
 食事を終え、ワインをスコッチに替え、僕たちはいつの間にか黙ったままニュースを見ていた。

 テロ以来、僕は思考も判断も麻痺してしまっていた。「戦争」という言葉が持ち出され、すべてがシリアスになっていた。
 アメリカでは、「歌」が途絶えたように感じた。アメリカ国歌と〈ガッド・ブレス・アメリカ〉だけが哀しげに響いていた。
 数日後、友人がニューヨークから戻ったとの連絡を受けた。ひとまず安堵した。もし友人が巻き込まれていたら、冷静ではいられなかっただろう。だが現に数千人が犠牲になり、その肉親、友人たちが今も哀しみに暮れていることを痛切に思った。
 僕はずっとNHKのニュースを見ていたが、ある時民放のニュースを見ると、軍事評論家という肩書きの男が状況を解説していた。「戦争が始まるとすればまもなくでしょう。その際アメリカは──」と嬉々としてしゃべっていた。
 メディアに「戦争の回避」を訴えた人々に対し、同じメディアが「腰抜け文化人」と評していた。
 無性に腹が立った。
 僕は文化人でもなく評論家でもなく、まして今回の政治的背景に対してさほどの知識もない。ただ、1人のシンガーとして、今までずっとこう信じてきた。正しい戦争などない、と。
 そして今も、半ば自分に言い聞かせるように信じている。正しい戦争など絶対にない。
 もちろんこれは僕個人の考えだ。
 そして同時に自問もしている。もし友人があの場で死んでいたら、もし肉親ががれきの下に今も残されているとしたら、そう言い切ることができるのかと。
 正義がひとつじゃないことは分かっている。回避できない争いがあることも。それでも僕は、理性の力を信じる。

 僕に今できることって何だろうと考える。それは旗を振ることでも、デモに参加することでもない。陳腐な結論かもしれないが、やはり歌を届けることだと思う。
 ツアーが始まり、ステージに立つ日が続いている。そこで声を大にして反戦を唱える気持ちはない。ただそのひと晩、歌の持つ力や夢をオーディエンスに届けること、それが生きる望みや勇気に変わることを信じて歌うことが、僕にできることだ。

 考えよう。考えてみよう。自分にできることを。僕も考える。
 想像しよう。想像してみよう。あらゆる人たちの幸せの行方を。ジョンが〈イマジン〉に託したように。僕も想像してみる。
 やってみよう。やり続けよう。自分にできることを。僕もそうしていく。

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(C)2001 Takuji Oyama