それはもうすぐ 04.07.2004


 デビューして21年目を迎えた3月21日、「Planting Seeds Tour Final」のステージに立った。《種》のレコーディングに参加してくれたミュージシャンたちと一緒だ。彼らとプレイするのは1年半ぶりだったが、レコーディングを経てきたサウンドは、もうほとんどバンドサウンドと言ってもおかしくないほどのグルーヴに満ちていた。
 《種》からの全曲、そして懐かしい歌が、彼らとのプレイで蘇った。
 アンコールで〈カーニバル〉をプレイした時のことだ。
 ツーコーラス歌って間奏に入ると、僕は自然に上手へ飛び、サックスのSMILEYは下手へ飛び、間奏の半分のところで、互いにセンターを向いた。この動きは、デビュー当時、The Conxとやっていた頃にSMILEYと散々やった動きだ。体が憶えていて勝手に動いた。見合わせたSMILEYの目が笑っていた。
 もうひとつ、僕は歌っていたから気づかなかったんだが、リズムの決めに合わせてSMILEYがジャンプしていたそうだ。これもThe Conx時代の動きだ。それを見たドラムのカースケが大笑いしていたという。カースケともThe Conxで一緒にプレイした仲間だ。終演後の楽屋でカースケが言っていた。
「あれ見た瞬間に、昔のことを全部思い出しちゃったよ」
 ステージの最中、全19本を数えたツアーの様々な光景が頭をよぎった。初めて訪れた三重の松阪、滋賀の大津、初めてやった四谷のLIVE GATE TOKYO、名古屋のアポロシアター、大阪のKnave、ほぼ2年ぶりに訪れたたくさんの街。そしてゲストで登場してくれた町支寛二さん、PEALOUTのコンドウトモヒロ君、キーボードのたつのすけ、センチメンタル・シティ・ロマンスの中野督夫さん、SMILEY、フロントアクトをやってくれたPOWDERの鈴木祐樹、みみずくずの2人、チョコレートパフェ、各街でフロントアクトをつとめてくれたアマチュアバンドの諸君、〈最終電車〉でステージに上ってくれた女の子たち。
 みんな本当にありがとう。心からの感謝を贈ります。

 先日、六本木のスイートベジルへ行った。センチメンタル・シティ・ロマンスの30周年のライヴを見るためだ。
 僕はアマチュアの頃に熊本でセンチのライヴを見たことがある。デビュー後、85年と99年にも見て、2000年からセンチの中野督夫さんをギタリストとサウンドプロデューサーとして迎え、マキシシングルとアルバムを作り、一緒にステージに立ち始めた。
 僕と督さんの間には、常に心地よい信頼感がある。互いを尊重し、敬意を払う。同時に、絶妙な距離感と緊張感を保っている。踏みこまない領域がある。
 センチの一員としてステージに登場した督さんは、僕とプレイする時とは明らかに違う空気を背負っていた。「この場所こそが俺の原点なんだ」という自信にみなぎっていた。
 素晴らしいアンサンブル、リズムのノリとタメ、コーラスワーク、どれもしびれるようなものだった。デビュー当時から何ひとつ衰えず、30年分の深みを増していた。アンコールでアカペラで歌われた〈夏の日の思い出〉には鳥肌が立った。
 僕はソロだから、バンドとしての30年という年月を感じることは難しいが、ひとつだけ分かったことがある。僕なんて、まだ小僧だ。そして、そう思わせてくれる人たちと知り合うことができたことが、今は無性に嬉しい。

 ツアーが終わり、少しだけゆっくりしている。
 音楽をやり続けるためには、インプットの時期とアウトプットの時期が必要だ。レコーディングもライヴもアウトプット。やり続けるばかりでは、からっぽになってしまう。仕事の合間に様々なものをインプットしてはきたが、今はもう少しインプットする時間が欲しい。
 去年のことだ。夜中に仕事を終えて、グラスに酒を注いで何気なくテレビを点けた。チャンネルを変えていると、男性が映画についてしゃべっている番組に行き当たった。映画は好きだし、その木訥とした語り口になぜか引かれて最後まで見た。番組最後のクレジットで、映画監督の小栗康平さんだと分かった。「泥の河」や「死の棘」を作った人だ。
 その番組はNHK教育の「人間講座」という番組で(すごいタイトルだよね)、様々なジャンルの人が、その世界についてシリーズで語るという内容だった。前からある番組らしいが、今まで一度も見たことがなかった。話の続きが気になって、翌週同じ時間にチャンネルを合わせた。番組で話したことをまとめた雑誌があるということで、それも購入した。そんな雑誌があることも知らなかった。シリーズ最初の方の見れなかった話を、その雑誌で読むことができた。
 それ以来、時間が合う時は「人間講座」を見ている。その道のプロの人たちの話は、本当に面白い。世の中には、僕の知らないことが山のようにあるんだと思う。それが楽しい。知らないと分かったということは、それを知るチャンスを得たわけだから。
 こうやって吸収していったことや、日々の中での色々ができごとが、そのうち胸の中で小さなモヤモヤになる。ある時それがマグマのように噴出して、歌になる。
 それは、もうすぐだ。予感がする。






































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