歌は、ライヴで歌ってこそ本当の輝きを放つ。オーディエンスの心に届き、毒になったり薬になったり、麻薬になったりカンフル剤になったりする。そしてそこから返ってくるものを受け止めて、歌はタフになる。
東京の初台で始まったツアー「Planting Seeds Tour」が、いよいよ東京を離れることになった。
三重県の松阪は、初めて降り立つ街だった。ミュージシャン仲間から「松阪にすごくいいライヴハウスがある」と噂には聞いていた。街道沿いにあったMAX'Aは、お客さんにとってはライヴを楽しめる雰囲気があり、やる側にとってもしっかりしたサウンドを出すことができ、本当にいい所だった。
道沿いの壁に、でっかい文字で「小山卓治 初上陸」と告知してくれていた。
三重県在住の人で、初めて僕のライヴを見に来てくれた人もいた。行って本当によかったと思えるライヴだった。
熊本でライヴをやるのは、何と10年振り。別に避けていたわけではないが、地元っていうのは、やりにくいものだ。BATTLE-STAGEの店長さんは、僕のアマチュア時代のライヴを見たことがあるという。いやもう、それだけでほんとに照れくさい。当日のピアノの調律をしてくれた人が大学の先輩だったり、フロントアクトをやった地元のバンドに、昔一緒にプレイしたことのある男がいたり、客席には友人たちがいたり。
本番直前、ステージそでで、「駄目だ! 緊張してる!」って言う僕を見て、マネージャーが大笑いしていたっけ。
約1時間のステージ、若干の物足りなさはあったかもしれないが、次につながる大きなステップになったと思う。
東京の四谷のステージをやり、いよいよ名古屋を皮切りに、関西方面を回る計8本の長い旅が始まった。元スプリングベルの鈴木祐樹(POWDER)がフロントアクトをつとめるべく一緒に車に乗りこむ。マネージャーと3人旅だ。
滋賀県の大津も初めての街。ハックルベリーは不思議な形をしたライヴハウスだ。2階に楽屋があり、ステージを見下ろすことができる。地元バンドでフロントアクトをつとめてくれたBluebirdの兄弟2人組は、中学生の頃に僕の歌をコピーしてくれていたそうだ。互いのCDを交換した。
ステージへは、客席を通って上る。こういう登場の仕方を、スタッフの中でいつの間にか「プロレス入場」と言うようになった。小さなフロアなんだけど、満杯の熱いお客さんを前に、歌う幸せをかみしめた。
翌日の京都。〈最終電車〉の3番で、ステージに客席から女の子を上げて並んで歌うって趣向。突然上げられた女の子がウルウルしちゃって、「隣でうたた寝している女の、妙に涙目の笑顔にそそられてたまんない」って替え歌。そしてほっぺにキス。
東京のバンドでのステージでは恒例になってきたけれど、京都では初めてだったから、驚かせちゃったかもしれないね。
奈良までの3連戦を終えて、翌日は1日空き日。大阪のホテルの部屋や近くのカフェで、次からのセットリストを何度も練り直す。
全ステージのセットリストを東京で考えてはきているが、連日ライヴをやっていく中で、曲を変更するのは当たり前になっている。その場の空気を感じ、自分が何をどう歌いたいか、お客さんが何を望んでいるかを感じ、急遽差し替えていく。
この旅から、新しいノートブック(Power Book G4)を使い始めた。novの母上から、形見分けでいただいたものだ。それを開き、前回その街で歌ったセットリストなどを参考にして、改めて曲を並べ直す。東京で考えていたものと、まるで違うものになっていく。
ツアーに出て、もうひとつ大事なことがある。場所によってPA(サウンドのシステム)の状態にばらつきがあることだ。出てくる音色も違うし、モニターのバランスも変わる。スムーズに歌える時と、とてもやりにくい時がある。それによっては声の調子も変わるし、ライヴの印象さえ変わってしまう。可能な限りベストの状態に持っていくために、リハーサルは慎重になる。
場所によって、BINGOというドイツ製のアコースティックギター用アンプを使う。見た目はチビなんだがパワーがあり、ギターの音を忠実に表現してくれる。
ここのところ、あまり弦を切らなくなっていたんだが、このツアーではやけに切れる。ペグ(弦を巻く部分)が痛んできたようだ。東京へ戻って、交換する手はずになっている。
ライヴが終わると(いや、ライヴのない日も)、現地スタッフを交えたりして夜は全員で食事に行く。店を代えて酒を飲み、ホテルに戻って、マネージャーの部屋でまた飲む。おかげでマネージャーの部屋は、いつも酒臭い。こうして長旅と深酒をくり返していると、東京では話さないような深い話になる。普段は互いに踏みこまない領域の話題で盛り上がり、チームの結束が固まっていく。これも旅ならではのことだ。
僕は、ほぼ午前3時には切り上げることにしている。部屋に加湿器を入れ、寝るのも仕事だ。祐樹とマネージャーは、毎日のように朝まで飲んでいたようだ。
和歌山でのライヴの夜は、JRで事故があり、遅れてしまったお客さんもいた。アンコールでは、小さなフロアに集まってくれた熱いお客さんの中に入り、ノンマイクで〈Show Time〉を歌った。僕の声とお客さんの声がひとつになる、幸せな瞬間だった。
連泊していた大阪のホテルをチェックアウトして、神戸へ。降り立つ街ごとに、空気が違う。胸一杯吸いこみ、ライヴハウスの雰囲気を体に染みこませると、またセットリストが変わったりもする。
体は疲れているんだが、気持ちはずっとハイテンションのままだ。なぜなら、目の前に僕を初めて見るお客さんがいるのだから。その一夜に、今持っているすべてのものを出しきりたいと思う。
神戸の夜、またぞろホテルの部屋で飲んで、午前3時、「じゃあ明日」と立ち上がった僕に祐樹が言った。
「寝たら、明日が来ちゃうじゃないか」
祐樹は、この旅を心から楽しみ、どんどん充実したステージをやるようになっていた。だからこそ、旅が終わって欲しくない、東京に戻りたくないと、ずっと言っていた。
でも、旅は終わらせるためにあるものだ。終わりがなければ旅とはいえない。
最終日の姫路は、相当グロッキーだったはずなんだが、ハイテンションなライヴになった。そして最後の最後は、ピアノで〈もうすぐ〉を歌った。
東京に戻り、2日ほどぼんやりしていた。旅のスピード感とピリピリした緊張感が体から抜けず、東京という街が、妙にリアルさに欠けて見えた。
戻って4日後、渋谷のライヴハウスで祐樹のバンド、POWDERのライヴを見た。素晴らしくよかった。パンクで、ナイーブで、荒削りで、センチで、ピュアで。アコースティックで歌っている時と、祐樹の目は明らかに違っていた。
ライヴハウスを出て、週末の人ごみに溢れる道玄坂を下りながら、ふと旅のことを思い起こした。
高速道路を走りながら見上げた、山と高圧線と空。
僕を一心に見つめ、聴き入ってくれるお客さんの目。
照明の色と熱さ。
楽屋に届くアンコールの声。
切れた弦。
投げたピック。
したたる汗。
拍手。
ヤジ。
手拍子。
「ありがとう」と、お客さんの声。
「また来るよ」と言った自分の声。
すべては「始まり」のために、すべては「継続」のために、すべては「はるかな未来」のために。
旅は終わり、旅は続く。 |
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MAX'A[三重]
「小山卓治 初上陸」
BATTLE-STAGE[熊本]
不思議な形のライヴハウス
そしてほっぺにキス
[都雅都雅|京都]
鈴木祐樹(POWDER)
心斎橋ミューズホール[大阪]
オールドタイム[和歌山]
アートハウス[頑張る祐樹-神戸 ]
ベータ[姫路]
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