高橋研さんとのコラボレーション 05.21.2003


 「紹介しよう。今夜のスペシャルゲスト、高橋研!」
 2002年2月16日、MANY RIVERS TO CROSS Tour、東京、初台Doorsのステージに、研さんは缶ビール片手に現れた。客席からは熱い拍手が送られる。
 僕と研さんは互いの曲を2曲ずつ一緒にプレイした。
 ソロでやる時の僕のライヴには、たまにプレイヤーやシンガーをゲストに招くことがある。プレイヤーは、その楽器で僕と併走する。シンガーの場合は、プレイしながら瞬間瞬間に刺激的にぶつかり合う。自分にはない相手の世界観を感じ、インスパイアされる。研さん場合もそうだった。
 研さんの声は独特だ。ハイが立ってよく通るロックな声だ。僕の声には微かなくすみがにじむ。つまり、乾いた声と濡れた声だ。2人で歌っていると、その差が歴然と分かる。だが僕は20年かけてこの声を作ってきた。
 歌の合間に、いろんなおしゃべりをした。その時、研さんにこう言った。
「夢があるんだ。いつか研さんと共作したいと思ってさ」
「おお、いいよ。やろうやろう!」
 研さんにとっては、意外な提案だったかもしれない。だけど僕は、ずっと前からこのことを考えていた。

 話はちょうど10年前にさかのぼる。アコースティックナイト関西編、神戸のChicken Georgeで、僕は初めて研さんと同じステージに立った。名前は知っていたが、歌を聴くのは初めてだった。
 切ないな。そう思った。胸がチクリとし、青春が熱い痛みと共に蘇る。それは、僕がいつか描きたいと思っている詞の世界やメロディで、そして決して描けそうもない歌だった。一緒に歌を作ったら、きっと面白いだろうな。
 終演後の打ち上げで、ビールをあおりながら研さんと話した。
「小山君、すげえよかったよ! 何であんなにリハと本番が違うの? 楽屋で何かキメた?」
 そんなわけないけれど、研さんとは不思議に打ち解けて話すことができた。研さんが、こんなことを言っていたのを憶えている。
「ニール・ヤングの新譜は、デジタルな感じが鼻につくんだよな。あいつはどうしてもデジタルとアナログの境界線を越えられないんだ。それに比べて、ディランはそんなもの軽々と越えてる。小山君はもしかしたら、日本のディランになれるかもしれないな」

 初台Doorsの打ち上げは、どんちゃん騒ぎになったけれど、大切な話もたくさんできた。
「本番前に小山が着替えてるところを、見ないようにしながら、見ちゃったんだけどさ。一枚ずつ鎧をつけるようにして着替えてるんだよな」
「研さんの歌って、なんか聴いててくやしくなるっていうか、むかつくんだよなあ。“その歌、俺が書こうと思ってたのに!”って」
「小山の歌は、まっすぐだよな。背骨がしっかりしてる。ガキの頃に音楽にもらった気持ちを、忘れずに実践してる感じだよ。俺はくねっていく」
 そして共作の話を改めてした。
「あれは勢いで言ったわけじゃなくて、ほんとに研さんとやりたいと思ってるんだ」
「小山と一緒にやるんだったら、小山の声をいかしたいな。小山の魅力は声だからな」

 その後、研さんとは何度か同じステージに立つチャンスがあり、たまにメールをやり取りするようになった。
 去年の11月。ひさしぶりに研さんと新宿で飲んだ。僕はアルバムレコーディングの準備を始めていて、共作の話を具体的に進めることになった。
 僕が詞を書いて研さんがメロディをつける、あるいは研さんのメロディに僕が詞を書く。それだと当たり前すぎる気がした。僕のメロディで研さんがどんな世界を描くか、それに一番惹かれた。
 いろんなアイデアを出し合った。研さんのこんなアイデアもあった。
「小山卓治が歌う〈小山卓治〉って曲はどうだ?」
 店を出てワインを買いこみ、僕の部屋で飲み直すことになった。そこでギターを鳴らしながら、「こんなのどうだ?」「じゃ、こういうのは?」と、酒の勢いで止まらない。

 数日後、僕はデモテープを持って研さんの事務所にある小さなスタジオに入った。いきなりビール。
 聴いてもらった1曲目は、〈殴り書きのファンタジー〉という仮タイトルをつけて一度は仕上げたが、ライヴでは歌ったことのない歌だ。
「街角の物語のコラージュみたいなイメージにならないかな?」と僕。
「コラージュするのは、ヒップホップ辺りの連中が表現してる。そういう想いの段差は若い連中の方が強く感じてて、俺たちのコラージュはもう伝わらないよ」
 僕がデビューした頃に作っていた歌は、ほとんど街角が舞台だった。渋谷辺りをうろついていたんだが、時代と共に街も変化したとはいえ、最近じゃ渋谷を歩くとうざったく感じることがある。街が語りかけてくることは少なくなった。
 想いの段差。そのひと言は、僕に大きなヒントをくれた。
 次の曲は、以前〈このままじゃいけない〉というタイトルで作った歌。
「もうできてるじゃん。俺はこっちの方が響くな」
 メロディを何度もくり返す。
 一段落して、ビールが焼酎になった頃、ふと、あるメロディのことを思い出した。仮に〈チェインソング〉とだけ名づけていた。
「こういうの、どうかな?」
 ギターをかき鳴らして歌う。研さんも僕の手元を見てコードを探る。
「Em、G、A、Cだよ」
 ギターのストロークだけでほぼイメージが決定している曲だ。だが、そこで歌う物語をどうしても描ききれていなかった。
「これはできるよ」
 研さんが力強く言った。
 そしてまた酒。なんか、こればっかりだな。
 研さんは、様々な人と、様々な状況の中で歌を作ってきた。だから音楽に対して僕とは違うスタンスを持っている。たくさんの人たちに聴かせること、届けること、伝えること、そして売ること。そんな研さんの話すことは、僕にはとても新鮮だった。
「ロックという文化はもう終わった。俺たちが期待していることは、もう起こらない。昔は、音楽は緩く人生は早かった。今は逆なんだ。若い子たちにとって音楽は早い。文章を紐解くように音楽を聴かなくなった。今はパーツが輝いていれば音楽になるんだ」

 年末、研さんからメールで歌詞が届いた。研さんらしいダンディズム、メロディを大きく感じさせる言葉だ。
「俺も2曲とも気に入ってるんだよな」と、研さんも言ってくれた。
 また2人でスタジオに入り、歌詞を乗せて歌ってみる。言葉がメロディに乗った感触を確かめ、言葉のアクセントとメロディラインの関係がうまくいっているか確かめる。
 2箇所ほど直してほしいと思うところがあり、研さんにお願いする。
 それから、やっぱり酒。

 〈このままじゃいけない〉は〈夕陽に泣きたい〉へ、〈チェインソング〉は〈ジオラマ〉へと生まれ変わり、新しいアルバムに収録することになった。
 10年来の夢を、ひとつかなえることができた。
 とても刺激的なコラボレーションになった。僕はこれからも、こんな共作をやってみたいと考えている。

 ある日のこと。留守番電話にメッセージが入っていた。
「研でーす。チャリンコで走ってたら小山んちの近くまで来たんで、電話してみました。そんじゃまた」
 なんか、笑っちゃった。こんな電話をもらったのは、大学生の頃以来かもしれないな。研さんのこんな自由でナチュラルな感じが、たくさんの歌を生みだしているのかもしれない。
 長いつき合いになりそうだ。


 公式メーリングリスト「aspirin-ml」が発足して3年がたった。BBSとはひと味違い、つどってくれた全国のファンが熱く語り合う場、そして楽しくおしゃべりする場として始まった。僕の話題だけじゃなく、様々なジャンルの音楽、文学や映画、ちょっとした日々のできごとなどについてのメールが日々届く。僕に対しての提言や苦言も送られてくる。このオープンなスペースが、たくさんの人たちの思いを伝え合う場所になっていることがとても嬉しい。
 だが、たまにだが、心ない発言が届くことがある。ここが公式な場所であり、自分の発言をたくさんの人たちが読むという、たったそれだけの想像力もおよばない発言に、がっかりさせられることがある。
 公式である限り、その手の発言をくい止めなければいけないのかもしれない。だが僕は、参加してくれた人たちの良識を信じてきたし、信じ続ける。
 これからも、たくさんの想いを送ってきてほしい。
 ここに素敵な場所がある。のぞいたことのない人は、ぜひ一度顔を出してみてね。


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