グラウンド・ゼロで 04.23.2002


 4月の頭、短い期間だったけれどニューヨークへ行ってきた。今のニューヨークの空気を肌で感じてみたいと思ったからだ。

 ジャケットを脱ぐような温かい日と、凍えるような寒さの日があった。ひさしぶりに訪れたニューヨークは、あふれる音楽や陽気な笑い声に満ち、ストリートを歩いている限りはテロのダメージを感じさせなかった。
 地下鉄でロウアー・マンハッタンのフルトン・ストリートで降り、地上へ出る。そこがグラウンド・ゼロ(ワールド・トレード・センターの跡地)だ。様々な国の、様々な肌の色や髪の色の人たちが訪れている。真上を飛行機が通りすぎていく。
 跡地は意外に狭く感じた。だがそこに巨大な穴が地下深くえぐられたようにあり、クレーンが何台も中で動いている。穴の周りにはまだ少しがれきが残っていた。今も1日に何体もの遺体が発見されるという。日本のニュースではもう取り上げられることもなくなっているが。
 周りのビルにも相当なダメージがあったらしく、何10階分のガラスが割れ、それをボードで補修してあるビルが建ち並ぶ。
 僕を含め、そこにいる人々に笑顔はなかった。ただ静かに現場を見つめていた。
 ポリス・ラインが作られ、たくさんの警官がいて、迷彩服を着て機関銃を持った軍人がいた。
 そこは、まさに戦場の跡だった。

 グラウンド・ゼロのすぐ隣にセントポール教会がある。その周りを囲む鉄柵が、世界中からのメッセージを供える場所になっていた。柵の先端には様々な色やデザインのキャップがかぶせられ、中には消防士のヘルメットもある。大きな星条旗、Tシャツやトレーナー、亡くなった人の写真、未だにある「Missing(行方不明)」と書かれた若い女性がほほえむ写真、子供たちの手形で作られた国旗、日本の松江小学校から送られた千羽鶴。それらすべてに膨大な数の手書きのメッセージが書かれてある。
「God Bless America」
「United We Stand」
 そしてたくさんのたくさんの「Love」。
 埋め尽くされたメッセージの隙間に、その日も人々がペンを走らせていた。
 哀しみの前に、国籍や宗教などないんだと感じた。
 鉄柵のメッセージを読みながら教会を一周すると、柵の奥に墓地があった。その墓石の上半分が砕けていたり、倒れていたりした。相当な衝撃がここまできたんだろう。それを見ながら、悲劇の大きさに押しつぶされてしまいそうになった。
 だが──そう、だが、センチメンタルになってはいけないと思った。ここでテロが起き、何千人もの人々が亡くなった、その現実を見すえなければ。そしてなぜこんなことが起こってしまったのか、何が間違っていたのか、考えなければ。

 ちょうど僕がニューヨークにいた時期、夜になるとグラウンド・ゼロから2本の光のラインが空へ向けて放射されていた。それはもちろん倒壊したビルを象徴するものだ。すごく強い光だと聞いていたが、実際に見るとそのブルーの光は、途中で力つきて夜空に吸いこまれていくように見えた。
 テレビでは連日、中東危機と自爆テロのニュースが流れていた。
 ニューヨークの至る所、小さなデリカテッセンの店頭などにも星条旗が掲げられ、車のアンテナにも小さな星条旗がたなびいていたが、テロから7ヶ月が過ぎ、その星条旗はどれも汚れたりすり切れたりしていた。
 それらのシーンが、今のアメリカを物語っているように感じた。

 新聞にこんな言葉が引用されていた。
「アメリカは勝利にかけてはエキスパートだが、敗北にかけてはまだアマチュアだ (E・ウォルシュ)」
 家族や友人を殺されたアメリカは、どう感じ、これからどうしようとしているんだろう。
 そして遠い日本からやってきてここに立つ僕は、どう感じ、どう理解し、どうしていけばいいんだろう。
 正義はひとつじゃない。真実もひとつとは限らない。現実に至っては人の数だけある。自分が今、どの立ち位置にいるのか、何を信じ、何を望むのか、それぞれの人間がそれぞれに考えて、よりよい方向を導き出していくしかないのだろう。
 今はこんな当たり前のことしか思いつかない。

 以前、広島の平和記念資料館に行った時のこと。ただれてケロイド状になった皮膚の写真や、焼け崩れた街の様子の展示に混じり、熱風でねじ曲がったガラスビンが展示されていた。僕はその緑色のガラスビンに奇妙に引かれた。不思議な形に曲がりくねったビンは、美しくさえあった。同時にそれは、原爆の恐ろしさ、人間の愚かさを饒舌に語っていた。
 音楽にできること、それはこのねじ曲がったガラスビンの美しさを歌うことではないだろうか。それこそが、それだけが、これからの僕にできることではないだろうか。


 この文章の続編(改訂版)はファンクラブの会報に掲載される予定です。

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