いつか河を越えて 09.07.1999


 ホームページをオープンして、そろそろ1ヶ月になろうとしている。どれだけの人が来てくれるのか、どんなリアクションが返ってくるのか、ワクワクしながら、そして少々心配しながら待っていた。
 カウンターはすでに2000を越えている。この数字が他と比べて多いのか少ないのか分からないけれど、僕にとっては予想外に大きな数字だ。
 メールもたくさん届いた。熱く思いを語ってくれるメッセージを読みながら、僕の胸も熱くなった。心からありがとう。
 メッセージの中に、「ライヴに来てくれ」というものも多かった。なかなか行けないお詫びというわけではないけれど、東京でのライヴの音声データを入れた。リアルプレイヤーをダウンロードしたり、少し面倒かもしれないけれど、聴いてほしい。

 ホームページを作る準備として、今までにリリースしたアルバムの歌詞をまとめたり、あちこちに書いた文章を整理したりする作業は、大変だったけれど思いの外楽しいものだった。改めて自分が発表してきたものを並べてみると、自分がどんな風に変化してきたかを冷静に振り返ることができた。
 ここへ来れば、今までの活動のほとんどを見ることができる。そんな場所は、考えてみたら今までなかった。その上、この場所を利用して、何か新しい表現ができるのでは、と考えている。インターネットの可能性は、これからどんどん広がっていくだろう。
 例えばメールマガジンというものがある。ものすごい勢いで数が伸びているという。僕もいくつか読んだことがある。一個人が、文章だけとはいえ発表の場を持ち得るということは、とても素敵なことだ。
 しかし同時にこうも思う。言葉だけで自分を表現することは、とても難しい。小さな誤解が摩擦を生んだり、不特定多数の人を傷つけたり、関係を壊してしまうことさえある。言葉をメロディに乗せることで音楽を作る身として、自戒の念を込めてのことだ。
 以前こんなことがあった。〈談合坂パーキングエリア〉という歌で、「2人は脱走した死刑囚みたいだ」という歌詞を書いた。歌を聴いたスタッフがこう言った。
「そんなことないとは思うけど、もし死刑囚がこの歌を聴いたら傷つくかもしれない」
 僕の初期の歌には、放送禁止になった歌が何曲もある。こんな言葉が放送コードに引っかかったためだ。
 〈NO GOOD!〉の「道ばたの乞食を見て」「自閉症患者ウォーク・マン」。
 〈土曜の夜の小さな反乱〉の「大変だみんな狂ってる」。
 確信犯的にその言葉を選んだのなら、例え誰かが傷ついたとしても、自分を納得させることはできる。だが一番恐ろしいのは、無意識に使った言葉が誰かを傷つけることだ。その傷ついた人にどんなに謝ったとしても、僕の罪がぬぐわれることはない。
 言葉は、誰かの心を激しく打つと同時に、誰かの心に深い傷を負わせる可能性を秘めている。少なくともそのことに自覚的であるべきだ。
 〈談合坂パーキングエリア〉の歌詞は、「2人は脱走した罪人みたいだ」に変更した。変更したことで歌の意味が損なわれたわけじゃない。
 しかし、組織がやる自主規制というものは、まったく別の話だ。
 忌野清志郎さんのパンク・アレンジの〈君が代〉が発売中止になり、インディーズでの発売になるという。
 以前、清志郎さんがリリースしたアルバム《カバーズ》の中に、原子力発電所のことに触れた歌があり、発売中止騒ぎになったことがあった。僕も音楽雑誌からコメントを求められたりしたが、その時は「なんか騒ぎになってるなあ」と一歩引いていた。アルバムを聴くこともなかった。
 それからしばらくたって偶然聴く機会があった。僕は腹を抱えて笑った。抱腹絶倒のギャグだし、極上のカバー(替え歌)だ。発売中止の騒ぎになったということはつまり、その歌を聴いてむかついた人間と、むかついた人間を恐れる人間がいたということだ。今回もまったく同じだ。
 僕が憤りを感じるのは、むかついた人間ではなく、それを恐れる人間の方だ。
 清志郎さんの持つ独特の鋭い嗅覚が〈君が代〉を選ばせた。それはきっと「昼間のパパはちょっと違う」と歌った感覚と同じはずだ。他意などあるはずもない。その歌うという意志を、「社会的影響が……」などと逃げ腰になって踏みにじる組織のふがいなさ。憤りを通り越して失笑すらしてしまう。

 僕も以前、同じことを体験した。〈いつか河を越えて〉という歌をレコーディングしている最中のことだ。

 河向こうのスモッグ越しに
 そびえるビルの頭を
 子供の頃から何度も
 数えながら育った
 ハイウェイでつながった
 蜘蛛の巣のような橋を
 週に1度は渡り
 同じ数だけ戻った

 ここでは誰もが口癖のように
 こうつぶやいている
 いつか河を越えて

 ベッドの中で恋人は
 俺の肩に顔を寄せ
 夢の中でも泣いている
 連れていってちょうだい
 ここにいればとにかく
 男と呼んでもらえる
 だけど向こう側では
 ただの男だ

 ここでは誰もが口癖のように
 こうつぶやいている
 いつか河を越えて

 真夜中になるといつも
 1人で車を転がして
 河沿いに停めて
 遠くに浮かぶ明かりを見つめる
 向こう岸に向かって
 パッシングを続ける
 まるでそれが何かの
 合図でもあるように

 ここでは誰もが口癖のように
 こうつぶやいている
 いつか河を越えて

 突然、組織からクレームがついた。歌詞の「河向こう」と「いつか河を越えて」のふたつの言葉とタイトルを「変えろ。でなければこの歌をレコーディングすることをやめろ」と高飛車に言われた。何のことかさっぱり理解できなかった。
 「河向こう」という言葉は、昔から自主規制のリストに載っていた。それは部落差別につながる言葉だった。知らなかった。知らなかったから、そのことを勉強した。その上で、この歌が部落差別を意図した歌じゃないことを主張した。主張ははなから受け入れられなかった。
「内容の問題じゃないんだよ。こっちが恐いんだよ」
 組織の人間が、自分の頬を人差し指で斜めに切りながら言った。
 自由な表現が踏みにじられるジレンマに、はらわたが煮えくり返る思いをしながらも、僕は選択を迫られた。歌詞を変更するか、この歌をレコーディングしないか。
 「河向こう」を「向こう岸」に変えることにした。「河向こう」と言われて傷つく人がいる限り、使うべきではないし、「向こう岸」に変えても僕の意図は伝わる。だが「いつか河を越えて」を変えるわけにはいかなかった。
 紆余曲折。
 僕はこの歌を〈Passing〉と題し、「いつか河を越えて」の部分を英語でごまかした。そういう結論を出した自分を嫌悪した。だがこうも思った。レコードで歌えなくても、ライヴでなら最初の歌詞のまま歌える。ライヴでなら、僕が本当に伝えたかったことを直接伝えることができる。
 この歌をリリースして10年以上たつ。今ではこの歌は、僕とリスナーにとっての大切な1曲になっている。
 最近では、テレビでも「河向こう」という言葉を使っている。僕はそれを聞くたびにドキリとする。それは「また問題になったりして」という不安ではなく、今でもその言葉で傷つく人がいるかもしれないのに、知らずに使うその無神経さだ。


 この1ヶ月ほどの間にもらったメールの中には、僕にとっては結構痛い内容のものもあった。だけど、それはそれで気持ちが伝わってきて嬉しかった。このホームページ上では、外交辞令や遠慮なんかいらない。もっともっと気持ちを聞かせてほしい。軽い左ジャブの意見を待っているわけじゃない。君の右ストレートを待っている。「言葉が足りない」でも構わない。「言いすぎちゃった」くらいでちょうどいい。君の右ストレートで僕をノックアウトしてほしい。

 数日前、ひさしぶりにスマイリーから連絡があった。
 スマイリーはサックスプレイヤーで、僕がデビューして以来、ほとんどのステージでサックスを吹いてくれた、僕の相棒みたいなやつだ。
 たまには飲もうか、という話になった。
「今度ホームページ始めたんだけど、そこに“FRIENDS”ってコーナーがあってさ。対談っていうか、友達とダラダラ喋ってそのまんま載せるって感じの内容にしようと思ってるんだ。やっぱ一発目のゲストはスマイリーしかいないと思うんだけど、どう?」
「ああ、いいよ」
「あんまりくだけた内容だと、スマイリーのアーティストイメージが崩れるかも」
「そんなもん、最初からないよ」
 だそうなので、近いうちにテレコとデジカメを持ってスマイリーに会う予定だ。うまくいけば次回の更新で“FRIENDS”のコーナーをオープンすることができるかもしれない。「うまくいけば」というのは、下手すると飲んだくれてグチャグチャになって、対談どころじゃなくなる可能性も大だからだ。なにせあいつ、飲んで調子が出てくると、改行なしで10行分くらい一気に喋りまくっちゃうようなやつだから。

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(C)1999 Takuji Oyama