僕は43歳になる 09.08.2000


 幼かった頃、早く大人になりたかった。
 10代の頃、早く20歳になりたかった。
 20代の頃、早く30歳になりたかった。
 25歳でデビューした僕は、“若さ”がそれだけで何とかさまになる時期を、もう半分ほど通り過ぎていた。10代のギラギラした熱情だけを武器にするわけにもいかず、かといって物静かな言動だけでやり通せるほど落ち着いてもいなかった。中途半端な若さが自分でうっとうしかった。早く30歳になりたかった。
 だが、30歳を迎えた時、僕は何だか疲れていた。ただ“若さ”だけが遠のいて、次に何を武器にしていいのか分かっていなかった。「このままじゃいけない」と思いながらも、どうしていいのか見当がつかなかった。
 20代を中途半端な年齢だと思っていたが、30代はそれにも増して中途半端だった。どこまで行っても自分との折り合いをつけきれないような気がした。
 ふと、妙に枯れかけている自分に気づく時があった。ニュースを見て、今の10代の若者がどうのとか言っているのを見て、眉をしかめ、「ま、いいか」とチャンネルを変えた。自分が世の中の大きな流れの外側にいる気がした。大きなうねりに参加していない気がした。「もうそんな歳じゃないんだから」という外部の忠告が耳に痛かった。
 そして40歳になった時、僕はついにこう思った。
「このままでいいんだ!」
 もう今更キャパシティーは増えない。自分が“ここ”から“ここ”までの人間だと気づいた。だったら、“ここ”から“ここ”までで勝負すればいい。それ以外を全部切り捨てればいい。できもしないことで悩むより、できることだけを突き詰めていけばいい。それはあきらめることじゃない。無限だった可能性の中から、たったひとつを見定めたということだ。
 「いい歳をして」などと言われても、耳に入ってこなくなった。「そんなこともできないのかよ」と言われても、高笑いできるようになった。なぜなら、僕は今たったひとつだけど、ダイヤモンドを持っているからだ。音楽という名のダイヤモンドだ。
 それだけでいい。死ぬまでそれだけでいい。

 エンターテイメントとしての音楽は、常にキラキラしていなければいけない。
 キラキラが仕事の芸能人は、いつだってキラキラしている。僕もそのキラキラをやってみたことがあるが、キラキラってやつは以外に疲れる。朝から晩までキラキラしてろと言われても、できるものじゃない。それができるのはひとつの才能で、僕にはその才能はなく、エンターテイナーとしては失格だ。
 ならば、どうすればいい? 答はこうだ。
 ギラギラする。
 これなら僕の得意な分野だ。
 もちろん10代の頃のギラギラとは別のものだ。例えばナイフを持っていたとするなら、昔はそれを闇雲に振り回した。振り回しすぎて誤って自分を傷つけたりもし、あげくにヘトヘトになった。今は違う。ナイフを手に一撃で相手の急所を刺す。
 人が年齢と共に枯れて、もの静かになっていくなんて考えは、少なくとも僕には当てはまらない。錆びたナイフであるより、そのナイフを研ぎ澄まし、さらに鋭利な刃物になる。そいつはギラギラと輝いている。
「俺は夜のテロリスト このままじゃくたばらないぜ」
 28歳になった時、僕はこう歌った。その気持ちは、今もまったく色あせちゃいない。

 ギターは僕のマシンガンだ。歌は僕の弾丸だ。
 今月で僕は43歳になる。幼かった頃なりたかった大人に、ようやくなれた。

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