大事な“何か” 10.06.1999


 古い付き合いの友人がいる。彼とは高校時代に一緒にバンドをやった仲だ。早くに結婚し、2人の子供がいる。
 確か10年くらい前に遊びに行った時、彼の家族と散歩がてらに砧公園へ行き、敷地内にある世田谷美術館に入った。友人の小学生の娘と並んで絵を見ながら、いろいろな話をした記憶がある。彼女はとても澄んだ目で、一心に絵を見上げていた。
 僕は彼の家を数年に一度くらい訪れる。先日、ひさしぶりに彼のマンションのドアを開けると、あいかわらずの友人とその奥さん、そしてあの小学生の女の子が18歳になって迎えてくれた。
 軽くお酒を飲みながら友人と話をしていると、女の子が母親と何やら話している。聞いてみると、ラルク・アン・シエルのグッズのパンフレットを見せながら、「これ買って」とおねだりしているようだ。おもしろそうなので見せてもらった。Tシャツはもちろん、ステーショナリー、ツアーパンフレット、なぜかリモコンカーや、グッズにしてはかなり高価なジュラルミンのアタッシュケースなどなど。女の子がひとつひとつ僕に説明してくれる。
「ラルクのファンなんだ」
「ええ。この夏のイベントも行ってきたんです」
 母親が苦笑いしながら言う。
「ちょっと前まではグレイのファンだったのよ」
 そういえば、前回ここに来た時と少しだけ部屋の様子が変わっている。リビングの壁にでっかいポスターが貼ってあり、写っているのは、あん……ええと、誰だっけ……あん……ほら、CMで「こーんな顔になってますよ」とか言ってた……ええと、そうそう安藤政信。
 母親はまた苦い顔。
「つまりは、すっごい面食いなのよ、この子」
 友達の娘がすっかり大きくなって、アイドルや、まあジャンルは結構違うにしろ僕のやっている音楽に興味を持ち始めるなんて、と僕も友人と顔を見あわせて苦笑い。

 食事も一段落した頃、友人がCDをセットする。流れてきたのは古い古いブルースのサウンド。しばらく聴いていたんだが、どうも気持ちがだるくなってしまい、友人に言った。
「こんな有史以前の音楽じゃなくてさ、もっとなんか新しいのはないの?」
「最近のは、あんまり聴かないからなあ」
 それじゃあ、と友人の娘に聴いてみる。
「最近どんなの聴いてる? 洋楽でさ」
 ラルクはちょっと勘弁してほしかったんで、こう釘を差す。
 彼女は、UKバンドのCDをかけてくれる。日本ではまだそれほど認知度も高くない。僕もラジオで1曲聴いたことがある程度だ。サウンドは70年代を匂わせる、いわばフォークロック。
「結構音楽に詳しいんだね。他にはどんなの聴くの?」
「ジャミロクワイ。ダンスがかわいいし」
 うーん。彼女にとっては、邦楽と洋楽の区別も、音楽のジャンルも、はなっから関係ないんだな。

 点けっぱなしになっていたテレビが、CDのランキング番組を始めた。出てくる歌を彼女がどう思っているのか、聞いてみた。
「この歌は?」「好き! CD持ってます。詞がすごくいい」
「このシンガーは?」「前は好きだったけど、もういいやって感じかなあ」
「このバンドは?」「私、メンバーに女の子がいるのって許せない」
「これはどう?」「もう終わったなって感じ」「どうして?」「だっておんなじような歌ばっかり出すから。売れ線に走ったなって」
 ヒット曲が今の10代にどう受け止められているのかが、彼女の言葉からリアルに伝わってくる。彼女はちゃんとアルバムを聴いて判断しているようだ。ルックスや、“今、売れてるから”という理由だけで好きになっているわけではなく、その歌の“何か”に彼女は引かれてCDを買う。しなやかに自分の感性を信じているように思えた。彼女に比べれば、僕の方がよっぽど頭でっかちな聴き方をしているのかもしれない。ちょっとした嬉しい誤算でもあった。
 そんな彼女が僕の歌を聴いたら、どう感じるんだろう。
「そろそろ、友達でも誘って僕のコンサート見においでよ」
「ええ、ぜひ!」
 彼女は目を輝かせる。
「だけど僕の歌って、たまに人が死んだりするからなあ」
「えー?」と、彼女はいやあな顔。
 ジョークのつもりだったんだけど、内心「いけね」と思っちゃった。
 18歳の女の子が聴いて「いい」と思える歌が、僕の歌にどれだけあるだろう。そういう風に考えたことは、今まであまりなかった。歌をあげてみようとするんだが、どうもうまくいかない。
 だからといって、新しいサウンドを取り入れた歌だとか、人が死なない歌が「いい歌」ということだけではないようだ。
 番組の終わりに、佐野元春さんの新譜のスポットが流れた。
「彼は?」
「昔の人って感じ」
 うーん。結構ショックだった。
 誤解しないでほしいが、彼女はとても素直ないい子だ。そして18歳だ。その彼女のセリフ、「昔の人って感じ」。うーん……。

 歌を作り続け、歌い続けていけば、その分年齢を重ねることになる。キャリアを積むことで得るものはたくさんある。しかし、今の空気を感じとれなくなってしまったら、終わりだとも思う。
 僕の場合、ほとんどの歌に登場する男の気持ちは、僕に重なっている。僕がつまらない42歳になってしまえば、歌の主人公もつまらないやつになる。だが、少年の気持ちを忘れていなければ、少年の歌を作れる。18歳の自分が今も心の中にいれば、その気持ちを歌える。経験を重ね、変化していくことと同時に、自分が今まで感じたすべてのことを憶えていたいと思う。憶えていなければ、と思う。心を若く新鮮に保ち続けることはできる。そりゃあ確かに、あん……ええと……そうそう、安藤政信ってわけにはいかないが。
 今度コンサートをやる時には、友人の家族を招待しようと思う。18歳の女の子が僕の歌を聴いて何を感じたか、ぜひ直接聞いてみたい。僕がいつの間にか忘れてしまっているかもしれない大事な“何か”を、思い出させてくれるかもしれない。

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(C)1999 Takuji Oyama