北海道から来た男 11.04.1999


 北海道に住む20歳の男から、僕の所属するプロダクションのりぼん宛にデモテープが送られてきた。ボスがそれを聴いて気に入ったらしく、僕のところに「小山も聴いてみろよ」と、そのテープが届いた。
 この手のテープは、山のように届く。僕宛に直接届くこともある。大半はひどいもんだ。こうして耳に留まるものは、1年に数本といっていい。
 僕のデビューのきっかけも1本のデモテープだった。4曲入りで、その2曲目に〈FILM GIRL〉が入っていて、その1曲でデビューすることが決まった。だから、デモテープに込められている気持ちが痛いほどよく分かる。聴くときは真剣に聴く。
 スピーカーから流れてきた歌は、繊細で、だけどまだ荒削りで、演奏なんかなっちゃいないんだけど、その中からこぼれてくる言葉は、素通りせずに胸にとどまる魅力を秘めている。へえ。いいじゃん。
 彼は札幌のストリートで歌っているそうだ。一度東京へ呼んで、スタジオで歌ってもらい、ついでにストリートでも歌ってもらおうという話になったという。彼にとっては大きなチャンスだ。だがもちろんプロダクションとしては、彼がどんな男で、どんなキャラクターで、どんな顔で、どんな風に歌うかを見極めるというクールな作業でもある。
 僕の場合はこうだった。デモテープがりぼんに渡り、東京へ来て1ヶ月もたたないある日、突然事務所に呼ばれた。スタッフにしてみればデモテープの音しか見極める材料がなく、僕がどんな顔をしてるのかさえ知らない。応接室に通され、ボスともう1人の男が僕を穴が空くほどにらみつけた。
 りぼんでマネージメントすることが決まり、後日、僕がスタジオでリハーサルをしていると、ボスが来て「歌ってみろ」という。僕は1人でマイクの前に立って歌う。目の前にボスが座り、僕をにらみあげる。後でボスから聞いたのだが、その時は、僕の立ち姿、口の開け方、ギターの構え方、歌う時の表情などを子細に観察していたそうだ。そうやって僕をどうマネージメントしていくかを考えていたという。
 そしてまた後日、僕の知らないところでスタッフの1人が密かに僕の故郷の熊本に発ち、アマチュア時代の僕の情報を収集してきた。会議が開かれ、そのスタッフが開口一番、「いやあ、あの小山ってのは大変なやつみたいですよ」と、言ったとか言わないとか。それはつまり、僕がアマチュアの頃とんでもなく……まあ……それは昔の話だ。

 彼が北海道から東京へ向けて飛行機に乗る日の前夜、台風が北海道に上陸していた。僕は天気予報を見ながら「大丈夫かな。飛行機は離陸できるかな」と思っていた。ここで東京へ来れなければ、ただの間の悪い男、来ることができれば、嵐を背負った男ってことになる。そんな些細なきかっけでビッグチャンスを逃してしまうことも、実はよくあることだ。彼の飛行機は無事羽田に着いた。
 その日の夜。新宿に今年最後の残暑が漂っていた。僕は靖国通りを渡り、プリンスホテルの前の歩道を見まわす。ボスとスタッフを見つけ、その近くのアスファルトに座りこんで歌っている男を見つけた。彼から少し離れた場所に座り、ビルの壁によりかかり、煙草に火を点けながら彼の歌に耳を澄ます。喉を絞る声、かき鳴らすギターの音が、彼にとっては初めての新宿の街に溶けこんでいく。すぐ近くにスクランブル交差点があり、信号が変わるたびに車やバイクが排気音をとどろかせ、彼の歌声をかき消す。客引きの男の声が歌に重なる。
 目を上げると、いつもより少し高い位置に見えるネオンやビル、電車の高架。目の前をたくさんの足が通りすぎていく。カップル、サラリーマン、外国人。彼を見おろす視線、チラリと見る、通りすぎる。
 こうやって路上に座るのもひさしぶりだ。以前はよくこの角度から世の中を眺めていたっけ。酔っぱらったあげく、終電も終わった街を。世間から少しだけ外れている自分を、自虐的に笑ったりもした。
 歌が聞こえてくる。20年分の人生を込めた歌。通りすぎる人には、そのワンフレーズしか聞こえないかもしれない。それでもここに夢がある。夢がひとつうずくまっている。

 その後、彼とスタッフで食事をした。彼と握手し、いろいろな話をした。彼のフェバリットアーティスト、歌を作り始めたきっかけ、「彼女いるの?」とか「毎日何食ってんだよ」とか。
 でも僕が一番知りたかったのは、どうしてストリートを選んだのか、ということだった。確かに、その方法ははやりだし、手軽だし、金もかからないし、その上小銭くらいは稼げる。彼もさして明確な意味を持ってストリートにいるわけではなかった。
 僕にはストリートで歌うという発想はあまりない。だがステージをストリートととらえることはよくある。PAや照明などを使い、登場人物たちを取り巻く空気や温度、風やノイズまでを含めた空間を作り上げる。ステージをファンタジーとしてのストリートにしてしまう。
 そこでひとつ、何よりも重要なことがある。“歌がストリートにいる”ということだ。
 僕は常に、ストリートを視点にした歌を作ろうと思っている。そこで肌で感じた息吹を歌おうと思っている。例え歌の舞台が部屋の中だとしても、気持ちはストリートになければいけない。これだけは、常に肝に銘じていることだ。
 そのためにはどうすればいいか。方法はひとつ。僕自身がストリートに立つことだ。その激しい鼓動を、切り裂かれる緊張を、よどんだ空気をも吸い続けることだ。
 最もやってはいけないことは、部屋の中で、安全な場所に居座ってストリートを歌うことだ。これだけは絶対にしてはいけない。部屋の中で穏やかにお気楽に書いた詞が、ストリートで輝くわけがない。

 食事をしながら話す彼の姿は、デビューできるかもしれないというビッグチャンスを目の前にしているわりには、しなやかに感じた。というのも、僕が彼と同じ立場にいた時期は、ギンギンに突っ張らかって、肩に力が入りっぱなしで、何だかロボットみたいな動きをしていたと記憶しているからだ。
 彼が本当にデビューできるかどうか、それはまだ分からない。というよりも、ほとんど彼次第だ。彼が今よりももっと素敵な歌を作り、魅力的なステージをやってくれれば、おのずとチャンスは彼のものになるだろう。
 店を出て、新宿の街並へ消えていく彼の後ろ姿を見ながら、また会えればいいな、と心から思った。

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(C)1999 Takuji Oyama