新しいリアル、新しい夢 12.28.2002


 ボブ・ディランの新しいCD《BOB DYLAN LIVE 1975 THE ROLLING THUNDER REVUE》、聴いたかな? 僕はもう完全にぶちのめされた! 神がかったテンションを持続するディランのボーカル、恐ろしいまでの緊張感を持つプレイ。今までにたくさんリリースされているディランのライヴ盤の中で、これほどまでにステージ上のディランの魔法を再現したライヴ盤はないと僕は思う。まったく信じられない。こんなに素晴らしくものすごいことが1975年に起きていただなんて。
 1975年といえば僕は18歳で、初めてディランのアルバム《Blood on the Tracks (血の轍)》を聴いた、いわばディラン元年だ。僕の年代としては、その出会いは遅い方だろう。ボブ・ディランという名前は知ってはいたし、歌もラジオから流れてきてはいたが、アルバムを買ったのはそれが最初だった。それからは、取りつかれたようにディランの歴史をデビューまで遡り、アルバムを買いあさった。翌年リリースされた《Desire(欲望)》《Hard Rain(激しい雨)》を聴いた時には、僕の中のロックという概念がひっくり返った。
 《Hard Rain(激しい雨)》は、今回のCDと同じTHE ROLLING THUNDER REVUEを記録したライヴ盤だが、1976年のもので、実はその前年の1975年のライヴはもっともっとすごかったという噂は聞いていた。そのライヴがついに登場したというわけだ。
 その後の僕にとってのディランは、1983年の《Infidels》でまたしびれさせてくれたものの、出会った頃のディランを感じることはなかった。日本でのライヴも何度も見たが、がっかりすることの方が多かった。去年リリースされた《"Love and Theft"》を聴いた時には、「このオヤジ、そろそろ死んでくれないかな。このままダラダラとアルバムを出して、世界中をダラダラとツアーやってても見苦しいだけじゃないか」とまで感じてしまった。
 しかし今回のCDを聴いた後、改めて《"Love and Theft"》を聴き返してみた。そこにはゾッとするような声と歌があった。60歳を過ぎてなお、あきらめも達観も衰退もなく、言葉はどこまでも鋭くぎらついていた。ただ、死の匂いがした。
 ごめん、前言撤回。「死んでくれ」なんてとんでもない。僕にはまだあなたの歌が必要だ。
 1975年のこのライヴを、今のディランにもう一度再現して欲しいなんて思わない。その瞬間にしかやれなかった、あり得なかったライヴを今こうして聴ける喜びを、ただ感じている。

 先日、たまたま点けたテレビで、映画「Go」が始まり、さほどの期待もなく見ていたんだが、冒頭でいきなり引きつけられ、釘づけになって最後まで見た。すっごい面白かった!
 原作者も監督も30代前半だという。強烈に感じたのは、その年齢の時にしかできないことは、その年齢のうちにすべてやっておかなくちゃ、ということだった。気持ちが尖っている若い時にしかできないことがある。
 若さの特権ということじゃない。若い時だからこそやれることがあるように、歳を重ねて初めてやれることがある。ディランがまさにそうじゃないか。

 今の僕に歌えることって何だろう。今の僕だからこそ歌うべきことって何だろう。いつもそう考えている。
 例えば、25歳の時に作った〈NO GOOD!〉を、あの時の気持ちで歌うことはできるが、あの時の気持ちを思いだして“〈NO GOOD!〉のような歌”を作ることに意味はない。
 例えば、以前の僕の歌詞には「やつら」という言葉が何度か出てきた。
「まったくやつらと電車ときたら朝から晩まで 急ぐことだけしか考えちゃいねえ」
「ルールはやつらの気分次第」
「雨が降るってやつらが言えば必ずどしゃ降りだ」
 その時の僕には「やつら」と呼べる人間が確かにいた。だがその頃に感じていた「やつら」は、もういない。逆に、今の若い世代を「あいつら」と感じてしまう自分がいる。もしかしたら、僕自身が誰かから「やつら」と呼ばれる部分を持ってしまっているかもしれない。今の自分に忠実であろうとすれば、もう「やつら」という言葉は必要ない。
 歌い始めて20年がたとうとしている。人の優しさというものを以前より少しは信じられるようにもなった。人に愚かさがあるということを以前にも増して強く感じるようにもなった。
 20年たてば、リアルの意味は変わり、夢の形も変わる。デビューしたばかりの25歳の僕にしかできなかったことがあるように、45歳の今だからこそ歌えるテーマが必ずある。それと真っ正面から向かい合おうと思う。
 来年早々、新しいアルバムのレコーディングに入ることになった。そこで僕が表現したいのは、新しいリアル、新しい夢だ。

 僕の心の真ん中に真っ白なスペースがある。そこにある日突然、歌のイメージがくっきりと現れる。情景から匂いまで。だからいつも、そこだけは真っ白にしておく。昨日飲み過ぎて調子が悪いとか、燃えないゴミを出さなきゃとか、そういうものを絶対に入りこませない。常に歌のためだけにとっておく。
 その場所を「ピュア」と名づけてもいい。


 今年も1年間、ここを訪ねてきてくれて本当にありがとう。
 来年の3月21日で、僕は20周年を迎えることになる。アルバムとDVDのリリース、そしてツアーと、来年は大きく動いていこうと思っている。楽しみにしていてくれ!


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