去年の12月、〈SING TO WINTER〉というタイトルで、近藤智洋氏と鎌田ひろゆき氏と3人で、仙台と山形でライヴをやった。
そもそものきっかけは、近藤氏と鎌田氏が飲んでいた時に、「冬の東北でライヴをやろうぜ!」と盛り上がったことからだった。「せっかくだから、小山にも声をかけてみよう」ということになり、僕にも連絡が入った。
1人の集客だけで東北ライヴを実現させるのはむずかしい。それでも、3人で行けば何とかなる、と、半ば見切り発車でのスタートだった。
「なんで冬の東北なんだよ? 極寒だぞ」なんて言いながら到着した仙台。思っていたほどの寒さはなかった。僕にとっては1992年に行って以来だ。
ちょうどその時期、仙台では〈光のページェント〉というイベントをやっていて、ライヴハウス近くの大通りの並木が、すごい数のイルミネーションで飾られ、光のトンネルをくぐっているようだった。
仙台 Heavenには、仙台在住の人に加えて、東京などからもお客さんが集まってくれた。
楽屋が狭いため、僕たちは開演間近に会場に入り、客席の一番後ろでお客さんと一緒にそれぞれのステージを見て、そこからステージに上がった。
まだ仙台で一度も歌ったことのない歌はたくさんある。短い持ち時間の中で、今歌いたい歌を厳選して歌った。お客さんからの熱い反応が嬉しかった。
アンコールでは、3人でそれぞれの歌をセッションした。
すばらしいライヴになった。
その夜の打ち上げの席で、「この3人で、もっといろんな街へ行ってライヴをやろう!」と話した。タイトルも、〈SING TO SPRING〉〈SING TO SUMMER〉と続けていこう。
鎌田ひろゆき氏と出会ったのは、1990年のことだ。当時、彼は僕と同じプロダクションに所属していて、一緒に曲を作ることになった。その時に作った〈予感〉は、95年にリリースされた彼のアルバム《僕は君を探しているんだ》に収録されている。
その後は、お互いのライヴにゲスト出演したり、お互いのアルバムにコーラスで参加したりという関係が続いていた。
近藤智洋氏とは、彼がPEALOUTで活動していた2003年に主催したアコースティックのイベントに招かれた時からの付き合いだ。彼が僕の歌をカバーしてくれているという話も聞いていた。その後、お互いのライヴを見に行ったり、僕のイベントに彼を招いたりした。
仙台の翌日、僕たちはギターを抱えて山形へ移動した。山形でライヴをやるのは、デビューして初めてのことだ。
FRANK LLOYD WRIGHTは、すごくアットホームな雰囲気で、リハーサルをしていると地元のお漬け物とお茶が出たりした。サウンドのバランスもよくて、すごくやりやすかった。
開場してから、僕たちはずっとカウンターに座っていて、そこからステージへ向かった。
数は少なくても、「ずっと待っていたぞ」というお客さんが来てくれて、熱気と温かい拍手に包まれたライヴになった。
アンコールでは3人とも弾けた。予定の3曲を終えてもアンコールが収まらなくて、3人の代表ということで、僕がステージへ戻って〈Show Time〉を歌った。バラードなのに弦が切れた。どこかに力が入っていたんだろう。
打ち上げは、スタッフも交えてFRANK LLOYD WRIGHTでやった。そこで出た納豆汁は絶品だった。
年が明けて、3月21日。それぞれの歌の旅をしてきた3人が、少し肌寒い東京 吉祥寺に集まった。〈SING TO SPRING〉の始まりだ。MANDA-LA2には、たくさんのお客さんが来てくれた。
この夜から本編の頭でも3人でやることにした。近藤氏と鎌田氏のバラードをプレイし、それぞれのソロステージ、アンコールのセッション。この時から、トータルで3時間近いライヴが続くことになる。
この夜の打ち上げで、〈SING TO SUMMER〉の企画が生まれた。
4月13日、僕たちは新宿からバスに乗って長野へ向かった。
長野でのライヴは、2005年8月以来だ。前回は猛暑だったんだが、今回はとてもいい気候だった。
この夜から、〈Show Time〉を3人でプレイし始めた。
最後はすごく盛り上がり、客席の中でギターをかき鳴らした。この夜も3曲のアンコールだけでは収まらなくて、代表で〈最終電車〉を歌った。
写真は、お客さんにデジカメを渡して撮ってもらったものだ。
打ち上げの席では、もう〈SING TO AUTUMN〉へのアイデアで盛り上がった。
4月14日、名古屋を経由して豊橋へ。
フロアはお客さんでいっぱいになった。
3人でのセッションは、回を重ねるごとにプレイがよくなってきた。
ハウスオブクレイジーは3年半ぶりだったが、ひさしぶりという気がしない。「帰ってきた」という気持ちになれる場所だ。
鎌田氏のステージで、MCのネタにされたことがある。この旅は、スタッフがいない3人だけでの旅だから、ギターをソフトケースに入れて担ぎ、衣装などを入れたバッグをキャリーカートにゴムのヒモで結んで転がしていく。
「小山さんのコロコロ(キャリーカート)の車輪は、すごく小さい。それで何を運ぶのってくらい。それに比べて、旅慣れた近藤君の車輪はやたらとでかい。それはそれで何を運ぶの。小さい車輪のコロコロを引っ張ってる小山さんは、なかなかかわいい」
3人のキャリーカートを並べてみた。真ん中が僕のやつ。確かにちっちゃいや。
鎌田氏のMCを受けての僕のMC。
「そうとも、俺のキャリーの車輪は小さいさ。 (客席笑い) 買う時に、さほど迷わずに買ってしまったんだけど、近藤君のキャリーを見て絶句したんだ。『でかっ!』みたいな。3人で歩いてるとさ、歩道と横断歩道の、ちょっとした段差があるじゃん? そこで俺は必ずよろけるんだよね。すると近藤君がズンズン歩いていく背中があってね。なんて旅慣れてるんだろう」
そして今回もお客さんに撮ってもらった写真。
アンコールは、またまた3曲では収まらず、お客さんからのリクエストで〈種の歌〉を歌った。
翌日、鎌田氏の友人の車に乗せてもらい、伊勢湾岸道を通り、松坂へ。
途中で食事をしようと店に入ったところで、震度5弱の地震にみまわれた。
M'AXAの表の看板の写真。
2003年9月以来のM'AXAは、改装されて音もすごくよくなっていた。
RED & BLACKの掲示板〈Ensemble〉で、松坂在住の人から〈Passing Bell〉のリクエストをもらった。とても嬉しくて、もちろん応えた。
アンコールでは、〈傷だらけの天使〉のエンディングで3人で客席へ乱入。ギターをかき鳴らしながら、お客さんが注文していたフライドチキンをつまみ食いでパクリ。
アンコールがやまず、予備で用意していた〈PARADISE ALLEY〉を初めて3人でプレイした。
打ち上げは、M'AXAのスタッフの人たちと一緒に会場でやった。スタッフの人たちがとてもよくしてくれて、本当に感謝している。
そして、〈SING TO SUMMER〉のスケジュールが発表になった。
8/31 京都 拾得
9/1 岡山 MO:GLA
9/2 広島 OTIS!
岡山は、デビューの時にプロモーションで短いライヴをやっただけだ。広島は1993年以来ということになる。今から本当に楽しみだ。
歌の旅は続いていく。
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