初の韓国ライヴ 11.21.2010



 鎌田氏ひろゆき氏と近藤智洋氏と初めて3人でツアーをやったのは、2006年12月のこと。それ以来、〈唄旅〉というライヴタイトルで、全国津々浦々を3人で回ってきた。
 そんな旅の途中、鎌田氏が昔、韓国でライヴをやったという話を聞いた。韓国に住んで活動している日本人の友人がいて、彼に招いてもらってライヴハウスで歌ったそうだ。
「おもしろそうだな。3人で韓国に行こうぜ!」
 それがいよいよ現実になった。初の海外ライヴ。
 もっとも、観光8、ライヴ2くらいの旅だ。何はともあれ、まずは一歩を印してみよう。それが次へのステップになるかもしれない。


 
10月18日。
 成田に着いて連絡すると、鎌田氏と近藤氏もすでに着いていて、ビールで勢いをつけているところだとか。
 バタバタと搭乗手続き。出国審査をすませて中に入って、またビール。こうやって飲んでいると、「いつもの〈唄旅〉じゃん(笑)」。
 飛行機に乗り込み、軽食と一緒の「飲み物は?」と聞かれ、3人そろって「レッド・ワイン・プリーズ」。
「テンション上げていこうぜ!」
 2時間少々のフライトで、ミニボトルのワインを3本。大人の修学旅行みたいだ。

 仁川 (インチョン) 空港を出ると、今回の旅をサポートしてくれる鎌田氏の友人、コプチャンチョンゴル (もつ鍋という意味) のリーダー、佐藤行衛 (ゆきえ) 氏やバンドメンバー、女性たちが出迎えてくれた。
 佐藤氏の口癖は「OK、OK! 問題ないよ!」のマシンガントーク。見た目は、60年代のロックバンド風。
 車に楽器やバッグを積み込んで、空港近くの焼き肉店へ直行。辛い焼き肉、甘いマッコリ。いきなり韓国の洗礼を受けた、というか満喫。


 
10月19日。
 ライヴハウスに入る5時まではフリー。ホテルを出て街へ。
 辛いのはちょっと苦手だから、うまいと聞いていたお粥でも食べようと、適当に店へ。メニューに写真がついていればいいなと思っていたが、まったく解読不能な韓国語のみ。隣で食べている人を見ると、あれはクッパかな。
 お店の人にブロークンの英語で聞くんだが、通じない。近くのテーブルで食事していた (というか、3人でビールの瓶が5本並んでいた。午前中なのに) 学生さん風の人たちに話しかけると、「I can't speak japanese. May I help you?」。
 お粥って英語で何て言うんだ?
 そのうち、お店の人や学生さんたちがテーブルに集まってきて、ワイワイ話し始め、何を言っているんだかさっぱり分からなくて、収拾がつかなくなってきて、「OK! ワン・クッパ・プリーズ!」。
 後で知ったんだが、韓国でお粥はそれほどポピュラーな食べ物じゃないらしい。

 地下鉄へ。販売機はいろんな言葉で音声案内してくれる。親切だな。行き先のボタンを押してお金を入れると、カードが出てくる。改札でタッチして中へ。
 乗り換えであたふたしたが、乗り方を覚えたらすごく便利だろうな。
 地下鉄の車両は日本より広い。座席は固い。アナウンスは、韓国語、英語、中国語、日本語で言ってくれる。
「次は梨泰院 (イテウォン) です」
 地下鉄を降りて公衆トイレへ。ホテルも地下鉄もトイレも、強い芳香剤の匂い。
 外へ出る。この界隈は、韓国と色々な国の文化や店がごちゃ混ぜになっている。時間もないから、今回の韓国はここをピンポイントで散策。
 天気も上々。日本より少し冷えるから上着を着て歩く。
 屋台で鯛焼きが売っていた。後で聞いたら鯛焼きより少し小さいから、フナ焼きと言うそうだ。尻尾までアンコがぎっしりで、1000ウォン (100円弱くらい) 。ひとつ買ったら、ひとつおまけしてくれた。
 カフェで一休み。コーヒーの値段は日本と変わらない。
 夕方、あちこちで屋台が開き始める。真っ赤なおでん、焼き栗、天ぷらなどなど。後ろ髪を引かれながらホテルへ戻る。

 弘大 (ホンデ) のライヴハウス、kuchu-campへ。ここは以前、同じプロダクションに所属していたフィッシュマンズのファンが経営している店で、店の名前はフィッシュマンズのアルバムタイトルから来ている。日本からのミュージシャンもたまに出演するらしい。
 周りは学生街で、雰囲気は下北沢みたいな感じだ。

 リハーサルを終え、「軽く食事でも」と誘われて近くの店へ。有無を言わさず、辛そうな鍋、肉、チヂミなどなど、そしてビールにマッコリ。誘惑を押さえてビールを注文。

 開演時間をとっくに過ぎてライヴハウスへ戻る。これが韓国スタイルらしい。
 日本からファンの人が2人、わざわざ来てくれていた。韓国在住のファンの人も1人。
 いざ、初の海外ライヴがスタート!

 まずはゲストボーカルで、Indian Soonieという女性が歌う。彼女の美しい歌声に聴き惚れた。
 そして佐藤行衛氏 (この辺から、ゆきえちゃんと呼び始めてた) 率いるコプチャンチョンゴルのステージ。ベースとパーカッションの3人でのプレイ。いつもはバンドでギンギンらしい。
 早口でまくし立てる韓国語のMCでは、僕たちのことをちゃんと紹介してくれているようだ。
 歌は、パワーがあり、コミカルな部分もあり、メロディアス。加川良さんの〈教訓 1〉を韓国語でカバーしていた。
 後半はグッと盛り上げる。客席も手拍子で応える。

 そして近藤氏のステージ。ブロークンの英語と、覚えたての韓国語を交えてのMC。いつものようにしっとりと始まったが、後半はアップテンポの曲を続ける。コプチャンチョンゴルのステージで感じて、セットリストを変えてきたようだ。客席のノリもいい。
 次は鎌田氏のステージ。アップテンポとバラードを織り交ぜて歌う。鎌田氏もセットリストを変えてきた。
 僕はどうする? 後半のアップテンポを1曲増やした。でも、聞かせるところはちゃんと聞かせるステージにしよう。
 本番直前、コプチャンチョンゴルのメンバーに、曲のタイトルを韓国語に直してもらった。

 ステージに出て、まずは叫んだ。
「アンニョンハセヨ・ソウル!」
 1曲目は〈夕陽に泣きたい〉。手拍子が起こった。

「カムサンミダ (ありがとう)。チョヌン・小山卓治・ラゴ・ハンミダ (小山卓治です)。イルボネソ・ワッスンミダ (日本から来ました)。マンナソ・パンガツスムニダ (会えて嬉しいです)」

 片言の韓国語に、温かい拍手をくれる。

「ハングンマル、just a little bit. Speak english, just a little bit. Speak Japanese, just a little……No. (客席笑い) Welcome to our gig. My name in Takuji Oyama. Call me Taku. (客席拍手)。Please enjoy it! Nexr song is 〈オリオネ・ティアラ〉」

 2曲目は〈オリオンのティアラ〉。

 次のMCでは、フィッシュマンズとの話。彼らがデビューした頃、ボーカルの佐藤君にゲストで出てもらって、コルネットを吹いてもらった話などをした (これは日本語で)。

 3曲目は〈クリスタルレインドロップ〉。

 バラードの時は、みんな本当に真剣に聴いてくれる。終わった後の拍手も熱い。
「Next song is〈シーアス・ノル〉。Unplugged style」

 4曲目は〈種の歌〉を生声で。

「カムサンミダ。オヌルン・ノム・キッポヨ (今夜はとても嬉しい)。 (客席拍手) トゥロ・ジュソソ・カムサハムニダ! (聴いてくれてありあがとう 客席拍手)」

 そしてアップテンポへ。〈Aspirin〉〈ジオラマ〉。

 ギターを置くと、すぐに大きなアンコールの手拍子。
 2人を呼び込む。大きな拍手。
 近藤氏の〈Everyday & Every night〉、鎌田氏の〈序章〉。
「OK! Last song!」
 そう叫んで〈君が本当に欲しいもの〉。ゆきえちゃん始め、コプチャンチョンゴルのメンバーが打楽器を手にステージへ飛び入り。Indian Soonieも出てきて、僕とマイクを分けあった。
 最高の盛り上がりだった。
 終わって時計を見たら、12時近く。日本じゃあり得ないな。

 打ち上げは、お客さんも交えて、kuchu-campのすぐ近くの、今度は豚の焼き肉店。
 斜めになった鉄板 (油を落とすため) に、キムチがドン! 肉がドン! ニンニクがドン! 野菜がドン! テーブルにはビールと焼酎とマッコリがドンドンドン! 乾杯、また乾杯。
 Indian Soonieは、韓国語と英語は話せるが、日本語は話せない。彼女にブロークンで「ぜひ日本においでよ。一緒にライヴやろうよ」と話した。
 コプチャンチョンゴルとも日本で共演してみたい。
 ゆきえちゃん曰く、「せっかく韓国に来てくれたんだから、いい思い出を作ってほしいからさ!」
 本当に彼のおかげで、すばらしいライヴができた。

 打ち上げの席で、僕たち3人についた名前がある。それは、
「美中年」


 
10月20日。
 朝9時に集合して、リムジンバスで空港へ。強行スケジュールで、とにかく時間がなかった。なぜって、ほとんど飲んでいたか食べていたからだ。
 ゆっくり時間があったら、歩いてみたい街がたくさんあったし、食べてみたいものもたくさんあった。まあ辛いんだろうけど。
 街に慣れて、言葉に慣れて、歩き方に慣れたら、もっともっと韓国を楽しめただろうな。

 初の海外ライヴ。どんなことでも、一歩を踏み出すことが大切で、そしておもしろい。 やったことのないことは、やってみなくちゃ。
 心にたっぷりの感動と感謝を詰め込んで、成田に到着。
「また韓国でライヴやろうよ」
 そんな話が当然のように持ち上がった。
 小さな1歩が、次へつながっていく。


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