第 04 話
Moon Dogs Club 
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 第04話



moon4 photo 木造りのどっしりとした構えのホテルの玄関を入り、落ち着いた色のシェードを被ったランプが置いてあるフロントを抜け、30年はそこにかかっているような油絵を見ながらロビーを抜けると、そこに古めかしいドアがある。中をのぞくと、1枚板のカウンターと、棚の一面に並べられた酒のボトルに囲まれて、バーテンダーが1人うたた寝をしている。
 隣にあるレストランから聞こえていたピアノのメロディが止まった。バーテンダーはふと目を覚まし、腕時計を見る。そろそろ閉店の時間だ。軽井沢、万平ホテル、1979年、夏の終わり。

 ドアを開けて、1人の女が顔をのぞかせた。
「まだいいかしら?」
 バーテンダーは立ちあがり、ニッコリ笑って答えた。
「ええ、もちろんですとも、ヨーコさん」
 女はカウンターにつくと頬杖をついた。バーテンダーはペリエの栓を抜きながら言った。
「今夜はみなさんどうなされたんですか?」
「ジョンは今、息子に子守歌を歌ってあげてるの。もうじき現れるわ」
 ちょうどその時ドアが開いて、1人の男がニコニコ笑いながら入ってきて、女の横に座った。
「いやあ、参ったよ。ショーンのやつ、まだ帰りたくないなんて駄々こねて、なかなか寝ようとしないんだ」
 バーテンダーはピカピカに磨かれたグラスをカウンターに置きながら言った。
「今年はもうお帰りになるんですか?」
「ああ、明日ニューヨークに戻ることにしたんだ。それで今夜はひさしぶりに1杯やろうと思ってね」
 男は女の顔を引きよせ、軽いキスをしてから店の中を見回した。
「ここ何年も夏になるとこのホテルに来てるけど、このバーに入ったのは初めてだな。ここのところ酒とはあまり縁がなかったからね。店の名前は?」
「ムーン・ドッグス・クラブです」
「ムーン・ドッグス・クラブか。いい名前だ」


 M-1
 Fallen Angel
 Robbie Robertson


 「ミスター・レノン。今夜はお別れの記念に私がご馳走しますよ。その代わり、私にお酒を選ばせてもらえませんか?」
 男と女は顔を見あわせ、ニッコリ笑ってバーテンダーに頷いた。バーテンダーは奥の方からビールを取りだし、カウンターに置いた。
「ホルステン・ビールか。こいつは懐かしいや。いつ頃のことだっけ。そうだ。まだビートルズがデビューする前、西ドイツのハンブルグでよく飲んでいたビールだ。こいつを飲んじゃあみんなでくだを巻いて、大騒ぎしてたっけ」
 バーテンダーがグラスに注いだビールを、男は半分ほど一気に飲んだ。
「そう、この味だ。満たされない日々の味、攻撃と前進の味、そして甘い夢の味だ」
 バーテンダーはほほえみながら言った。
「そう、あの頃のあなたはギラギラした危なっかしい若者でした。でも情熱に溢れ、爆発しそうなパワーを持っていました。あれから随分たちましたが、あなたは今も少しも変わっていない」
 男は不思議そうにバーテンダーの顔を見つめた。
「僕は君とどこかで会ったことがあるのかな?」
 バーテンダーは新しいビールを抜き、笑いながら首を振って言った。
「私は今まで、いろんな場所で、いろんな時代に、いろんな人達に酒を注いできました。傷ついた人、疲れきった人、みんな何かの思いを抱いてカウンターにたどり着きます。私はただ彼らのグラスに酒を注ぐだけです。彼らはその酒を飲み干し、そしてドアから出て、もう1度陽の当たる場所へ歩きだす。そんな中に、かつてのあなたがいたのかもしれませんね」
 壁にかけられた柱時計が、コツコツと時を刻む音だけが、店の中に響いている。


 M-2
 Jokerman
 Bob Dylan


 ビールを一口飲み、男がつぶやいた。
「時間がひと回りして、あの時に戻ってきたみたいだ。いや……きっとそうじゃなくて、あの時へ僕がまたたどり着いたんだな。新しい出発の時が来たんだ」
 バーテンダーが静かに言った。
「今度の出発はヨーコさんと2人ですね。これからどうなさるんです?」
 女は男の手を取りながら言った。
「来年から、きっとまた忙しくなるわ。私達、音楽に戻るかもしれないの」
「そう。息子も大きくなった。僕達はもう1度自分達のために何かを始めようと考えている。僕達のふたつのファンタジーのための物語を書こうと思ってるんだ」
「それは素晴らしいですね。ミスター・レノン」
「すべてがキラキラと極彩色に彩られていた60年代を、僕はビートルズで体験した。そして時代そのものが頭を抱えて考えこんでしまったような70年代を、僕はヨーコと2人で乗りきってきた。沈黙の70年代も今年で終わりだ。来年、新しい時代が始まろうとしている。すごく楽しみなんだ。僕達もそこに参加しなきゃ」
 柱時計が、低い声で時を知らせ始めた。男と女は顔を見あわせて、スツールから立ちあがった。バーテンダーは手を差しだし、2人と握手を交わした。
「さようならミスター・レノン。もう会えないかもしれません。お元気で」
「ありがとう。君も元気で」
 2人が店のドアを開け、出ていこうとした時、バーテンダーが言った。
「ジョン。なぜこの店に来た?」
 男はふり返り、バーテンダーに言った。
「昔、僕のバンドの名前がムーンドッグスっていったんだ。だからちょっと懐かしくなってね」
 それから男は首を傾げて言った。
「ずっと昔、これと同じ話を、どこかで誰かとしたような気がするな」
 そう言いながら男は少しほほえみ、店を出ていった。

 バーテンダーはカウンターの上のグラスをかたづけ、店の中を一通り見渡した。静まりかえった店の中、たくさんのボトルが鈍く光を放っている。バーテンダーはネクタイをゆるめ、煙草に火を点け、それから店の明かりのスイッチを、ゆっくり落とした。


 M-3
 Heart Attack
 小山卓治

 街路樹に止まって死にかけた
 渡り鳥の声を
 あの子の呼ぶ声と間違え
 ふり返ったこともある
 俺はこの街で暮らしながら
 コートのように孤独を羽織り
 悪夢のような現実におびえ
 甘い夢に溺れてる

 血眼のゲーム すれ違う視線
 耳打ちされる噂
 正しいやつばかりが勝つとは
 限らないこの街で
 誰かが酒で哀しみを隠し
 誰かが笑いで空しさを忘れ
 そして誰もが見あげ続ける
 失った心探しながら

 Heart Attack 消えそうだ my heart
 Heart Attack 見えない your heart



-NOTES-
 ジョンとヨーコのアルバム「ダブル・ファンタジー」は、1980年11月にリリースされた。そしてその年の12月8日、ジョンはダコタ・ハウスの前で凶弾に倒れた。40年の生涯だった。



 店の名前はムーン・ドッグス・クラブ
 それはある晩、ある時代、ある場所
 行き急ぐ者達が立ち止まり
 1杯のグラスのために座るところ
 店の名前はムーン・ドッグス・クラブ
 ひと夜限りのロマンチックなオペレッタ

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(c)1989 Takuji Oyama