新しいチャレンジ” 10.14.2006


 重度の肢体不自由と知的障がいを持つ子供たちが通う、ある養護学校の保護者のみなさんが、ともすれば家にこもりがちになってしまう障がいを持つ子供たちに、学校や家庭ではできないようなことを体験させ、それを通して人と関わりを持ち、充実した時間を過ごさせたいと立ち上げた、“ひだまりの会”という小さな組織がある。
 ひだまりの会がやっている、音楽療法の様子をビデオで見る機会があった。やっているのはボランティアの大学生だ。
 「始まりの認識 コミュニケーションの促進 緊張の緩和 身体接触 興味の拡大 楽器に触れる クールダウン 終わりの認識」という流れで、ヘルパーの人がつきっきりの子供たちを相手に、歌を歌ったり、体を動かしたり、楽器を使ったりという1時間の内容だった。
 音楽がいかに人の心をやわらかくするか、少しだけ分かったような気がした。
 ひだまりの会の代表の人から、歌を作ってほしいと頼まれた。 資料を読んでいるうちにイメージが浮かび、すぐに歌が生まれた。
 タイトルは〈ひだまりの歌〉。障がいを持つ子供たち、父兄のみなさん、ヘルパーの方たちが一緒に歌えるようにと、シンプルなメロディに、優しい言葉を乗せた。

ひだまりの歌 音声

大きな空の青が好きです
輝くひまわりの黄色が好きです
僕は元気
私は元気
みんなと一緒 だから楽しいよ
ひだまりのあたたかさが好き

流れる雲の白が好きです
夕焼けが始まる赤が好きです
僕は僕で
私は私
違ってること それがあたりまえ
ひだまりのあたたかさが好き

 “障害”を“障がい”と書くのには理由がある。
 《Bootleg!》のところで触れた、大分のCOCK'Sのボーカル、藤澤一郎君は、この春に転勤して、養護学校に勤務している、以下は彼からもらったメールだ。

「“障がい”という表記ですが、大分県では今年から公文書には“障害”という表記をしないことになりました。“害”という字の持つイメージが“障がい者”を差別的に見てしまうことにつながっている可能性があるということで、ひらがな表記になった次第です。小さいことのように見えますが、イメージを払拭するって大切なことなんですよね」

 ひだまりの会のパンフレットも、“障がい”で統一されていた。

 後日、僕はひだまりの会の活動に参加するために、養護学校へ行った。
 養護学校へ足を踏み入れるのは初めてのことだ。廊下を歩いただけで、普通の学校とまるで違う風景がある。
 子供たちやヘルパーの人たちの前で、〈ひだまりの歌〉を歌った。大きな拍手をもらった。
 子供たちの傷がいは様々だ。歌がちゃんと届いたかどうか、僕には判断できなかった。それでも、この歌が子供たちの心の奥底に静かに届き、ほんの少しでも気持ちを和らげることができたと信じている。



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