「じゃあねえ!」「ご馳走様!」 店を出るとすぐに、クスクス笑いながら小走りに去っていった2人の女の背中を、俺たちは見送った。ケンジは釣り銭を財布にしまいながら、俺は火をつけていない煙草をくわえたまま、顔を見合わせる。苦笑い。 「まったく、おまえと組むとろくなことにならねえ」 ケンジが言って歩きだす。 「次があるって」 俺は2人の女に電話番号を書かせた紙切れをヒラヒラとケンジに見せる。 路地の人ごみを縫い、醤油の焼ける匂いを嗅ぎ、笑いさざめく女たちの横顔をのぞき、ゲームセンターからあふれ出る金属音に追い立てられ、俺たちは3車線の通りに出る。風が足元をすくい上げ、ケンジのブルゾンと俺のシャツを膨らませる。 ケンジがボソリとつぶやく。 「あの女、“ジャック・ニコルソンって誰?”はねえよなあ」 「しょうがねえだろ、ジョージ・ハリスンも知らなかったんだから。それにしてもおまえ、口説き方間違ってるよ」 「何がだよ」 「今時、ニコルソンの髪型だってアピールしてもなあ。おまえの場合、現実がなあ」 「あ。おまえ、言うかそれを」 ケンジは広い額をてのひらで撫でてから、俺の肩をこぶしで殴った。 「おまえだってよ、“中森明菜に似てるよね”はねえだろ」 「ごめん、いくら何でも言い過ぎた。全然似てなかった」 雑居ビルの建ち並ぶ歩道を歩く。店々からこぼれ出るひずんだBGMが、歩くごとに重なりながら変わっていく。流れる人ごみの中に黒のスーツの男が2人、所在なげに辺りを見回している。その間をすり抜ける。スクランブル交差点を渡ってきた人の渦が押し寄せ、俺たちは少し離れ、それからまた肩を並べる。 「ちょっと待っててくれ」 俺は言って、そこにあった電話ボックスに入る。そらで憶えている番号を押す。ガラスの向こう、電話ボックスの青白い明かりを横顔に浴びるケンジが、煙草に火を点ける。受話器に向かい在宅かどうかをたずね、いないと聞いて受話器を置く。外へ出て歩きだす俺に並んで、ケンジも歩きだす。 バス停の前にあるビルの入り口の階段に、俺は腰を下ろした。ケンジはブラブラと停留所の時刻表を眺め、俺をふり返る。 「行くのか?」 「ああ。今日行かなきゃクビかも」 「何時まで?」 「朝の7時」 「不毛な青春だ」 「うるせえや」 「顔、赤いぞ。いいのか?」 「バレやしねえよ。つっ立ってるだけなんだから」 ケンジは俺の横に、よいしょと腰を下ろす。 「よいしょって言うな」 ケンジは薄笑いで煙草を投げる。 「なーんかさあ、疲れんだよなあ最近」 俺たちの前を、コツコツとパンプスを鳴らす女の足が通り過ぎていく。見るともなくそれを追う。バスが来て停まる。 「あれか?」 俺は首を振って、つぶやく。 「ま、あれでもいいんだけどな」 ケンジはバスの行き先を読み、言う。 「全然違うじゃねえかよ」 信号に引っかかった車の渋滞が、通りに並ぶ。開け放した車の窓から漏れる湿った低音が、しつこくリズムを刻む。 ケンジは両手を広げて大あくびをし、あくびの終わりにつけ足したように言う。 「愛とか、青春とか」 「あ?」 「夢とか、希望とか……ねえよなあ」 頬杖をついて俺も言う。 「そういや、最近見かけねえなあ」 「さっきの店で、でっかい愛と青春を引っかけそこねた」 「確かに。あれはでかかったな」 女のTシャツから無闇にのぞく深い胸元を思い出して笑う。ケンジが俺を小突く。俺はひじでケンジをつついて言う。 「夢ならあるだろ。俺たちの」 ケンジが答える。バイクが2台、けたたましく通過してケンジの声を消す。 「え?」 ケンジは横顔を見せて口を閉ざし、それから言う。 「おまえの夢だ。俺のじゃない」 ふいに音が消える。 俺はケンジのブルゾンのえりにつかみかかる。ケンジは俺をチラリと見、目を逸らす。俺は手をふりしぼる。 そして突き放す。 黒い人影がいくつもいくつも目の前を通り過ぎていく。嗚咽のようなクラクションが響き、誰かの罵声と悲鳴が聞こえて遠ざかる。 「なんで今頃になって、そんなこと言うんだ」 「俺も最近気がついたんだよ」 「ふざけんな」 道路の向こう側のパチンコ屋のネオンが、点滅と行ったり来たりをくり返す。 ケンジの声が、耳元で鈍く鳴る。 「夢ぐらい、1人で見ろ」 赤錆びた匂いが鼻をつく。並んだ車のウィンカーがオレンジの行列になり、信号に促されてゆるゆると流れ始める。 「じゃな」 ケンジが立ち上がる。俺はその視線を感じながら、消えるのを待つ。足音は遠ざかり、すぐに雑踏に紛れた。 また頬杖をつく。 俺の乗るバスが停留所に停まる。若い女が2人と老人が1人降り、男が2人乗りこみ、バスは出ていった。 錆の浮いたベンチに書いてある文字を読む。アスファルトの割れ目から雑草が生えている。バスケットシューズのひもが解けかかっているのに気づき、結び直す。 顔を上げる。ビルの屋上の広告塔が、赤く夜空を染めている。外壁に作られたエレベーターが、最上階からゆっくりと下りてきて、地下に吸いこまれていくのを眺める。 いつもの街だった。
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(c)2003 Takuji Oyama
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