第05話
汚れたバスケットシューズを履いて 
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 居酒屋ののれんをくぐると、店員の威勢のいい声に迎えられる。話し声や笑い声にあふれ、微かな音楽が流れる店内を見渡す。カウンターで背中を丸めて飲んでいるサラリーマンたち、ワイングラスを傾ける女性2人、学生らしい集団。隅の座敷からシンイチが顔を出し、俺に手を振った。
「よお」
 ブーツを脱いで靴箱に入れる。隣に陣取っている若い連中のものなのか、薄汚れたバスケットシューズが乱雑に脱ぎ散らかしてある。
 座敷に上がると、野郎ばかり5人がもう飲み始めていた。シンイチが、昔のままのニコニコ顔で言う。
「おまえ、人望薄いなあ。おまえがひさしぶりに帰ってくるからってあちこち声かけたんだけど、こんだけしか集まらなかったぞ」
 ジャケットを脱ぎ、ビールを注文して、5人の顔を見回す。記憶の中のそれぞれの顔に、時間が刻んだシワが加味されている。いいシワだ。
「じゃ、まあ乾杯だな」
 ジョッキを軽く合わせる。ひと口飲んで置く。自然に笑顔がわく。
 ケンジが呆れた顔で俺を見て言う。
「ほんと変わんないなあ、おまえ。どうやって生きてんだよ」
「かすみ食って生きてるよ」
「そんな感じだったよな、昔っから。おまえが夜逃げしてから何年たったっけ?」
「夜逃げって言うなよ」
「あん時、1万貸したの憶えてるか?」
「憶えてるわけないだろ」
 懐かしいイントネーションが耳をくすぐる。俺は刺身をひと口食べて言う。
「で? みんな、どんなおっちゃんになったんだ?」
 ヨウスケが言う
「結婚したり、子供ができたり、仕事を変わったり、体を壊したり、髪が薄くなってきたり、ま、色々だな」
 俺は改めてケンジの頭を眺める。昔から広かった額は、もうかなりなものだ。
「おまえ……いっちゃったなあ……」
「まあなあ」
「マンション買ったんだって?」
「ああ」
「そりゃハゲるよな」
「ハゲはやめろよ」
 店員がつまみを持ってくる。さっぱりしたものばかりだ。昔は唐揚げとかの油ものばかり食べていたんだが。
「マコトは?」
「今日は来れないってさ」
「仕事は? バブルの後は大変だったって聞いたけど」
「立派な不動産屋の社長だよ。億の金を動かして、大儲けした分、ギャンブルで大損してるそうだ」
 「ちょっとごめん」とタカシが携帯を持って席を立ち、店の入り口の辺りで背中を丸めて何やら仕事の話を始めた。「あいつんところ、危ないらしいな」とコウヘイが言うのを耳に挟みながらジョッキを上げる。
 ケンジが思い出したように言う。
「後で来ると思うけど、サチコはびっくりするくらい変わってないよ」
「来るんだ。今どうしてる?」
「旦那と別れて子供抱えて大変みたいだけど、花屋が何とかうまくいってるみたいだな」
 隣の座敷から、何度も高笑がおきる。罵声のような男の笑い、悲鳴のような女の笑い、グラスを割らんばかりの盛大な乾杯。俺たちはその声に押されて、しばらく話を止める。
 昔の俺たちだ。
 ビールが焼酎に変わり、何杯目かのおかわりをした頃、ケンジが顔を上げて「遅かったな」と言った。ふり返ると、笑顔のサチコが立っていた。記憶がほぐれ、時が逆流した。俺は隣にサチコを招いた。
「変わらないね」と俺。
「変わらないね」とサチコ。
「なんか、おまえらがそうやって並ぶと、妙な感じだな」
 笑いが弾け、俺たちは改めて乾杯した。さっきよりも少しだけ無遠慮に。
 箸を取るサチコの手が、ふと目に止まる。サチコはそれに気づき、首を傾げる。
「何?」
「いや……花屋さんの手だね」
「そうだよ。大変なんだよ」
 そう言って笑うサチコの目元にも、微かに年月が刻まれていた。それがとても綺麗だった。
 腹もふくれ、酒のピッチももにぶくなった頃、誰ともなく「カラオケでも行くか」という話になり、俺たちは店を出た。
 人ごみに溢れる繁華街を、俺は友人たちの背中を見ながらブラブラ歩く。新しい店があり、昔からそのままの店がある。あの頃はいなかったヘタクソなストリートシンガーがいる。そして歩く後ろ姿のサチコ。
 俺はサチコに追いつき、歩きながら肩に手を置いて顔をのぞきこんだ。
 ピタリとはまった感触。てのひらはその肩の丸みをはっきり憶えていた。のぞきこむその角度を体が憶えていた。
「なあ、急な話なんだけど、もう1回くどいてもいい?」
 サチコは昔と変わらない声で吹きだした。
「馬鹿、何言ってんのよ」
「やっぱ駄目か」
「彼女いるんでしょ?」
「まあね。サチコは?」
 ふと間が空いた。俺はサチコを見下ろす。笑顔はしぼみ、口ごもった横顔が曇っている。
 少し先の歩行者用信号が点滅を始め、友人たちは足早に横断歩道を渡る。俺は咄嗟にサチコの肩に置いた手に力を込め、足を緩める。サチコの体が固くなる。信号に間に合わず、2人の前を車が轟音をたてて走り始める。俺たちに気づいたケンジが道の向こうでふり返り、先に行くからな、と合図をして歩きだす。
 言葉がこぼれ落ちた。
「このまま2人でどっか行かないか?」
 通り過ぎる車の向こう、人ごみに見え隠れしながら、友人たちの背中が遠ざかっていく。
「本気?」
 口が麻痺したように動かない。俺とサチコは黙ったまま前を向き、流れる車を眺める。かん高いクラクションの音が長く響く。明滅するネオンがどぎつい赤を浴びせかけ、耳をつんざく笑い声や怒鳴り声が、渦を巻いて周りを取り囲む。
 車のブレーキの音が聞こえ、短い静寂があり、信号待ちしていた人々が道を渡り始めた。
「行こうか」
 俺はサチコを見下ろす。記憶と同じ角度でサチコが俺を見上げ、静かにほほえむ。
 俺とサチコは、友人たちを追いかけて歩きだした。


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