第04話
汚れたバスケットシューズを履いて 
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 ホテルの駐車場を出て、俺は栄子の赤のファミリアで3車線のバイパス通りへ乗り入れた。黙りこくったまま、ジグザグに車を縫って猛加速する。あちらこちらからクラクションを浴びせかけられる。助手席で、ふてくされたようにまっすぐ前を見ている栄子の横顔を、チラリと見る。
 信号に間に合わず、急ブレーキを踏む。ファミリアは中央の車線でタイヤをきしませて停まった。バックミラーに映る後続の車がつんのめるように急停車して、長いクラクションを鳴らす。そして沈黙。
 もう我慢できない。俺はハンドルを両手で叩き、ドアを開ける。栄子は驚いて俺を見る。
「どこ行くのよ!」
 車を降りてふり返る。
「後は自分で運転して帰れ!」
「こんなとこに女の子を置き去り?」
「知ったことか!」
 ドアを力一杯閉め、俺は幅広のグリーンベルトに踏みこんで歩く。ファミリアに向けてけたたましいクラクションがいくつも鳴り響くのを背中で聞く。連なる植え込みの間の芝生にドサリと大の字になって吠える。
「ちきしょう!」
 やがてクラクションは収まり、グリーンベルトの両脇を車の轟音が連なって過ぎていく。バイパスの両脇に並ぶ水銀灯の明かりが、ぼんやりとここまで届く。
 星が綺麗だ。月まで出てやがる。何やってんだろう俺。空笑いが口をつく。ついでにくしゃみをみっつ。もういいや、何がどうなったって。このまま寝ちまおうか。ここに住むってのもいいな。
 芝生と排気ガスの匂いが混じって鼻をつく。通過する車が巻き起こす風が渦になって、灰色に変色している植え込みを小刻みに揺らしている。目をつぶる。
 「好きな人ができたの」って、何だよそれ。ホテルで終わった後に言うセリフじゃねえだろ。
 ポケットから煙草を取り出し、仰向けのまま火を点ける。ひじ枕で煙を吐き出す。煙はクルクルと舞って夜空へ消えていく。
 どこからかサイレンの音が近づいてくる。やべえ! 俺は跳ね起きて身をかがめ、植え込みの下に隠れる。サイレンは急速に近づいてきて、俺の真横を一瞬で通り過ぎた。そのままへたりこむ。微かに土の匂いがした。
 煙草を指で車道にはじく。タイヤがそれを踏み、火の粉が舞った。
 行くか。俺は立ち上がり、グリーンベルトの切れ目まで歩き、横断歩道を渡る。
 バイパスを離れると、急に静かになった。人通りもまばらな住宅街の道路脇、工事現場に置いてあった赤のカラーコーンをひとつ抱えて肩に背負い、また歩く。すれ違うやつらが、俺をうさんくさそうにふり返る。風に乗って微かに、踏切の警報の音と、電車の走る音が聞こえてくる。
 大学のグラウンド脇の道を行く。向こうから3人の男が騒ぎながら歩いてきた。知った顔だ。連中は俺だと分かると急に声を荒げた。
「よお、社会人!」
「世間の風は冷たいか?」
 酒でも飲んでいたのか、ヘラヘラと俺を見る。
「うるせえ!」
 俺は3人の間を割って通り過ぎる。
 木造2階建てのアパートの玄関にバスケットシューズを脱ぎ捨て、木の階段をギシギシいわせて上る。奥の部屋から、小さな音で音楽が漏れてくる。ノックもせず、ドアを開けて入る。古ぼけたソファベッドに背中をもたせかけたマコトが俺を見上げる。
「土産だ」
 俺はカラーコーンを部屋の隅に立て、ドカリと座って言う。
「酒飲ませろ」
「どうした?」
「女と別れてきた」
 マコトはしばらく俺を見、それから鼻を鳴らして笑った。
「やっぱりな」
 マコトは冷蔵庫の上に置いてあったバーボンをグラスに注いで、俺に渡す。俺はそれを一気に飲み干す。
 マコトはターンテーブルのLPを代えて、針を落とした。
「これでも聴いて、人生やり直せ」
 スピーカーからかすれたピアノが流れだし、男の声がだるそうに歌い始めた。
「誰だ、これ」
「トム・ウェイツ。知ってるか?」
「知らねえ」
 俺は立ち上がり、ボトルを抱えてスピーカーの前に座り直す。しわがれた声が、負け犬のようにつぶやいている。グラスに酒を注ぐ。錆びついた苦い味が舌に広がる。
 マコトがボソリと言う。
「俺も、もうすぐ卒業だ」
 俺はバーボンをなめる。歌声がじわりと胸に落ちる。
「この間、宅建の試験に合格した」
「タッケンって何だよ」
「不動産屋の免許みたいなもんだ。俺は土地を転がすことに決めた。いつかおまえが大もうけしたら、俺から買えよ」
「ああ、分かった」
 腰が深く沈んでいく。俺とマコトは黙ったまま、歌に耳を傾けた。
 やがてターンテーブルから針が上がる。俺はグラスをのぞきながら言う。
「全然ロックじゃねえな」
「変えるか?」
「B面も聴かせろよ」
 マコトはLPをひっくり返す。また、がさついたピアノの音色。
 マコトはソファベッドに寝そべる。
「で? どうすんだ、おまえは?」
「そうだな」
 酒の勢いか、歌のせいか、思ってもいない言葉が口をついた。
「とにかく、この街にはいたくねえ」
「出ていくのか?」
「ああ」
 そう言って初めて、自分がそうするだろうと分かった。突然、胸が張り裂けそうに痛くなり、俺はグラスを置いて立ち上がる。
「帰るのか?」
「いや」
「じゃ、何だ」
「無性に立ち上がりたくなったんだ」
「何言ってんだよ、おまえ」
 あごを上げると、すすけた天井が見えた。その向こうに、全世界があった。


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