祈り
 | 1. 花を育てたことがあるかい | 2 . 夜を行く | 3 . そして僕は部屋を出た | 4 . さよなら恋人 |
 | 5 . 前夜 | 6 . 天使の歌う朝 | 7 . 負けないで | 8 . 孤独のゲーム | 9 . 祈り |


 ずっと頭から離れない映像がある。それは数年前、ヨーロッパに民主化の嵐が吹き荒れていた頃、NHKのドキュメンタリー番組で見たものだ。
 ルーマニアの政権が倒れ、1人の男が牢獄から救けだされた。男は詩人で、国に背く思想を持ったとして何10年も牢獄につながれていた。何10万人もの熱狂する国民が集まる広場にある建物のバルコニーに男は立った。昨日までは独裁者が国民を見おろしていた場所だ。彼はそこで詩を朗読する。それは朗読というより、絶叫に近かった。若かったはずの男の額にはしわが刻まれ、髪は白くなり……。男はその髪を振り乱し、こぶしを振りあげて、群衆に向かって詩を叫ぶ。そしてその詩の最後に、男は激しくこうつけ加えた。
「ルーマニア!」
 自分達の祖国の名前を、誇りと怒りとを持って叫ぶ。集まった群衆もそれに答え、大きな渦となって勝利へのシュプレヒコールをあげる。何度も何度も。いつまでも。
 命を賭けて振りあげるこぶしは、何よりも美しい。明日は死ぬかもしれない人間の血の叫びにかなうものはない。それはそれだけで詩になり、奥に潜んでいる熱や涙や痛みのせいで、何よりも美しい歌になる。

 もうひとつ、これもまたヨーロッパでの出来事だ。動き始めた群衆がひとつになり、洪水のように進む間に、いつの間にか歌ができあがっていたという。それは政府を倒し、自分達の自由を手に入れることを宣言する歌だったそうだ。
 その群衆の前には、銃を構えた兵士達が立っている。いつ発砲されてもおかしくない状況の中で、彼らは歌い続け、進んでいった。怒涛のようなシュプレヒコールはメロディを持ち、音楽になっていった。それを歌う人々の顔に浮かぶ興奮と解放感。平和や自由や平等や解放を祈る気持ちが詩になり、歌になり、くり返される。それは儀式を越えて、何か神聖なものになっていく。歌が歌としてだけではなく、何か大きな力になった瞬間だった。

 このアルバムのプロデューサー、須藤晃の本「クォーター」の中にこんな一節がある。
――歌は解放されたくて人が作ったものだ。大切なことを忘れないために歌にしたんだ。口ずさむために――
 その一節から、昔読んだ坂口安吾を思い出す。
――汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか。汝の生命と引き換えにしても、それを表現せずには止みがたいところの、汝自らの宝石であるか――

 ある日、自分の中に芽生えたストーリーを、僕はギターとペンを使って宝石のように磨きあげていく。その歌をステージの上で歌う。歌うことで、その宝石は輝きを増していく。もちろんそれは、命を引きかえにしなければならないほどの貴重な宝石だけに許される。ただの石ころになってしまった歌もたくさんある。僕にとって、大切な宝石になり得る歌とは、どんな歌なのか。
 それを僕に教えてくれたのは、コンサート会場に来てくれたオーディエンスの歌声だった。
 僕はその歌を彼らと共に、何度もくり返し歌ってきた。まるでシュプレヒコールのように。まるで祈りのように。その刹那、歌は歌を越えて何か大きなものに変わっていった。くり返すことで輝く歌、一緒に歌うことで輝く歌。それが僕にとっての宝石になった。
 歌はくり返すことで祈りになる。祈りはくり返すことで願いになる。願いは望むことで必ずかなう。でも祈りは終わらない。
 打ち寄せる波が一度だって同じ形をしていないように、祈りはくり返される。だから、祈りがある限り、歌は終わらない。

 | 1. 花を育てたことがあるかい | 2 . 夜を行く | 3 . そして僕は部屋を出た | 4 . さよなら恋人 |
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(c)1992 Takuji Oyama