それはある火曜日の朝のことだった。
僕は仕事へ向かうために部屋を出た。ゴミの収拾の日らしく、通りに出る角に黒いビニール袋が山のように積み重ねてある。そのゴミの脇に、一本の古びたギターが無造作に捨てられていた。ストラトキャスターだった。
ペグは錆び、弦は切れ、ペイントが剥げかかっている。ボディに英語の文字が書いてある。極端に崩した筆記体の文字は、多分このギターの持ち主だったやつが組んでいたバンドの名前なのだろう。僕は横目でチラリとそれを見ただけで通りを渡って歩きだした。煙草に火を点けようとポケットを探った時、突然言い知れぬ苛立ちが心をよぎった。
僕はギターを捨てたことがない。アマチュアの時に使っていたコピーの安物のギターでさえ、部屋のベッドの下に眠っている。もう何年も弾いたこともなく、ネックは反って使いものにならない。それでも捨てきれない。そのギターには、たくさんのステージでの熱狂や、不器用な友情や、忌まわしい挫折や、孤独な出発が染みこんでいるからだ。それを懐かしんだりはしないし、むしろ忘れたいと思っている。それでもそのギターだけは捨てられない。
あのギターを捨てた男(僕はそれが男だと思った)にとって、ギターにはどんな思いが宿っていたのだろう。捨ててしまいたいと思うほどやるせない思い出だったのだろうか。それともギリギリの選択の上で捨てたのだろうか。それとも何の思い入れもなく、その朝ふいにゴミの袋と一緒に部屋から持ちだし、放るように捨てていったのだろうか。そうかもしれない。でもあのペイントを見た時、僕にはそれだけじゃないように思えた。
彼にとっても、あのギターが武器になった時期があったと思う。たとえそれが小さな世界でのものだったとしても、一本のギターが自分の中の可能性を光らせてくれた瞬間があったはずだ。小さな安いリハーサルスタジオの中で、仲間達と一緒に一つのサウンドを作りあげようとした時があったはずだ。それが小さな宝石のように輝いた瞬間があったはずだ。
アマチュアの時に僕が組んでいたバンドに、僕の相棒とも言える男がいた。バイトで買ったフェンダーのテレキャスターをぶら下げたその男は、僕と一緒に何度もステージで燃えた。何かというとつい深刻になりがちな僕を、彼はいつもリラックスさせてくれた。だけどある日、彼は僕にギターを置くことを告げた。僕らは激しくなじり合った。
その後、彼とは少しずつ疎遠になっていった。僕のデビューが決まった時、彼に東京から電話した。僕は笑いながら言った。
「本当はおまえと一緒にデビューするのが夢だったんだぜ」
彼はこう言った。
「夢は一人で見るものだよ」
彼は音楽とは違う自分だけの夢を追いかけ、その夢の尻尾をつかんでいた。
数年後、彼の家を訪れた。奥さんと可愛い赤ちゃんがいる彼の部屋の片隅に、テレキャスターが立てかけてあった。
捨てられたギターを見た夜、僕はスタジオに入って詞を書き殴った。一人の力ではどうにもならないことがたくさんある。夢はすぐにはかなく終わる。それでも人は夢を見続ける。孤独な心と一緒に夢を見続ける。苦しくて弱気になるような夜、僕は今でも自分に向かってこう言い続ける。
夢は一人でみるものだ、と。
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