幸せのために歌いたいと願い続けているのに、結局のところ何ものかに向かって牙をむくことでしか、自分を表現できない時がある。
多くの後悔と傷跡と共にうなだれ、ため息と一緒に怒りを吐きだすまでの長い時間を潜り抜けた時に、初めて人は希望について歌う資格を手にする。自分を信じるということは、つまるところ自分を見つめ続けるということだ。自分の中の憎悪や恐怖と同居するということだ。
孤独ほど人を恐怖に陥れるものはない。怒りなど、孤独に比べれば何ほどのものでもない。本当に恐ろしいのは、誰からも愛されも憎まれもしないことだ。何かを憎んでいるうちは、それだけで孤独を感じなくてすむ。何かに挑んでいる間は、孤独に気づかずにすむ。こぶしを振り回し、唾を吐き、勝負を挑むことは、自分の孤独な魂の存続を賭けた命がけの勝負だ。しかも、それだけでは何ひとつ始まらないことを知っていなければならない。怒りから出発したことのほとんどは徒労に終わる。怒りをぶつけることは、孤独な、あまりにも孤独なゲームだ。
僕は孤独を恐れている。だからこそ孤独を愛している。孤独こそが僕を何かに向かって押しやる。
誰かがこんなことを言った。
「人生において、人は結局1枚のカードしか与えられない」
チャンスは何度か巡ってくる。だけど自分にとってのスペードのエースは1枚しかない。そいつを見逃した時、人は生きる意味を見失う。大半のやつらがそれを見逃したことにすら気づかないものだが。
長い間音楽に夢を託し、そして結局は音楽をあきらめていった友人がいた。僕はそいつにこう言ってやった。
「おまえは夢のために何も犠牲にしなかったから、今その報いを受けているのさ。そして僕は、夢のためにたくさんの犠牲を払ったから、ばちが当たっちまった。どっちも辛いさ。どっちを取ったからって幸せを比べられるものじゃない。達者で暮らせよ。そして絶対に僕をうらやましがったりしないでくれ」
それ以来、彼には会っていない。
この夏、1人のスタッフが僕らのチームから去っていった。いいやつだった。心おきなく仕事ができるやつだった。でも彼を止めることはできなかった。彼の人生を僕が操作することはできない。僕は孤独にさいなまされたが、彼の心にも孤独があることを知っていたから、僕は彼を見送れた。
今まで何人も、「卒業」と称して僕の元から去っていった人々がいる。僕は誰かから卒業されるほど間抜けな男になんかなりたくない。
誰が僕を卒業しようと、僕を忘れようと、僕は音楽を続ける。でもひとつだけ約束して欲しい。僕を卒業しても、自分からだけは卒業しないでくれ。
誰もが自分のカードを持って戦い続けなければいけない。今の僕のカードは、怒りのスリーカードだ。はったりをかませれば勝つ見こみもある。でも本当の武器が何なのか僕は知っている。それは孤独という堅い殻の中でうずくまっている。
僕はそれを希望と呼んでいる。
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