もうすぐ
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87.photo ごめん、遅くなった。仕事だったんだ。それとこのいまいましい渋滞。ほら、そこの先にある信号の手前で10分も動けなかった。とにかく出発だ。
 そうなんだ、仕事を決めてきたよ。ちゃんと契約書にサインもした。大丈夫、別にやばい仕事じゃないよ。だけど一発当たりゃ俺も金持ちだ。そしたらまっ先にこのオンボロ車をお払い箱にしてやる。おまえも今よりずいぶん楽になるよ。うまくいかなかったらって? うまくいかないことなんてないさ。もしうまくいかなかったとしても、別に何てこともない、元通りの自由の身さ。文無しってのは、長いことやってると、しまいに飽きちまう。金持ちってのも、やっぱりしまいには飽きちまうのかな。だけど自由には飽きないよ。ただたまに間がもたないだけだ。特に俺みたいにいつもフラフラしてるような男はね。
 どこへ行く? 西か。それもいいな。どのくらい西へ行くんだい? ずっと、ぶつかるまで? なるほどな。でも道ってのはどこにもぶつからないし、どこにも突き抜けないもんなんだぜ。じゃあ朝まで、か……、まるで思春期の会話だな。
 あいかわらずひどい渋滞だな。街を出るまでもう少し我慢してくれよ。クラクションがうるさいから、そっちの窓閉めなよ。FENでも聞いてれば、ぼんやりできる。
 でも、どうしてなんだろうな……え、いやだからさ、今までの俺って何やってもハンパだったし、別に切羽詰まってもいなかったし、ただのつまらない男だったんだよ。それが最近じゃあ……特にその……おまえと知り合ってからってものは、ずいぶん変わっちまった。いや、ほんとさ。何てのか生きる張りってのがさ……笑うなよ。笑うようなことじゃないよ。俺、今度はがんばってみようって思ってるんだ。おまえと一緒にさ。うまくいくよ。時間がかかるかもしんないけど、どっちにしろそれほど遠くのことじゃない……きっと、もうすぐだからな……。
 え? 違うよ、プロポーズなんかじゃないよ。何言ってんだい、まったく。

 おかしいな、エンジンがかかんねえや。どこか故障したらしい。ひでえ所で停まっちまったな。明かりひとつ見えやしない。このポンコツめ。おまえ免許持ってたよね。そうじゃないよ。運転しくれなんて言わないよ。俺が押すから、1ヶ月運転してなくてもハンドルくらい回せるだろ? 次の峠まで押せば明かりが見えるかもしれないよ。おっと、まだ夜は冷えるな。いいかい? せーの。
 見なよ、この辺まで来ると星が綺麗に見えるんだな。気分はどうだい? 顔がひきつってるよおまえ。――まいったな、汗が出てきた。この辺が1番高い所だけど、次の街までまだけっこうありそうだな。
 しょうがない、そこの先で左に寄せてくれよ。うん、ここでいい。サイド引いたかい? ボンネットを開けてくれ。ハンドルの下にレバーがあるだろ? それじゃないよ、その下だよ。それからトランクに懐中電灯と工具箱が入ってるから、持ってきてくれよ。サンキュー。こりゃ潜ってみないと分かんないな。ジャッキー使わなきゃいけないから、寒いけどもうちょっと外に出ててくれ。後ろにジャケットが置いてあるから、それを着てなよ。

 おーい、分かったよ。工具箱開けてくれ。えっとね、17のスパナ、そうそう力二のハサミのようなやつ、それとモンキー・スパナ。ほら、おまえが俺を殴ろうとしたやつだよ。何とかなりそうだ。煙草に火を点けてくれないか。
 さあ、もう大丈夫だ。行こうか。朝が来るまでにまだかなり走れそうだ。少し寝てなよ。その方がいい。夜が明けるまで、もうすぐだからな。

 俺の友達に変なのがいてさ。朝から晩まで酒ばっかり飲んでるんだ。そして“俺は大酒飲みだ”って言いふらして回るんだ。おかしなやつだろ? こないだの晩、店で出くわしたら、俺の横へ来てやっぱりおんなじようにわめくんだよ。だから言ってやったんだ。“それがどうしたってんだい?”。やつぁ何て答えたと思う? “その上俺は、酒を飲むことしかできないんだ”、だってさ。
 明るくなってきたよ。窓を開けないか? きっと風が冷たくて、違う匂いがするよ。ちょっと腹がヘったな。さっきセブンイレブンで買ったサンドイッチまだあるかい?
 懐かしいな、ボブ・ディランだ。この曲知ってるだろ? 知らない? 「風に吹かれて」って曲で、大ヒットしたんだぜ。そうか知らないか。公民権運動ってのがあって……、まあいいや、とにかくこの曲のサビで、ディランが“友よ、答は風の中にある”ってくり返すんだよ。その頃は、みんなそいつを信じて答を探し続けたらしい。もちろん俺がまだほんのガキの頃の話だけどな。そうだな、もう20年くらい前の話かな。だからその頃のことは俺もあんまり知らないんだ。幸か不幸かね。
 大切なことなんてどんどん変っていくんだよな。だけど俺にとっちゃあ、大切なことなんてこの世でひとつかふたつだ。おまえだってそうだろ? もうこれから先こんな曲なんか、きっと生まれないだろうな。

 夜明けだ。分かるかい? 俺達は今、太陽を背にして走ってるんだ。どこまで行くのか分かんないけど、とにかくもうすぐだからな。とにかく、もうすぐなんだ。
 だけど……ひとつだけ言っていいかい? おまえってホント無口なやつだなあ。

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(c)1984 Takuji Oyama