登場人物 A ロックシンガー
B 救世主
C 救世主
幕が開く。暗転の中、コンサートのアンコールの声が聞こえ始める。割れんばかりの歓声。しばらく続いた後、それがひときわ高くなり、「サンキュー!」と叫ぶロックシンガーの声が響く。轟音のような演奏が始まった辺りでゆっくりフェイドアウト。そのフェイドアウトと同じタイミングで照明がフェイドインする。舞台中央に木造りの粗末なベンチ。Aが座っている。横にギターケースを立てかけている。上手側奥にある水銀灯が辺りを淡く照らす。いずれも煤けた感じを出す。A新聞を広げてその見出しを読んでいる。
A アフリカ支援に実証調査。東南アジアに反日ムード再び。交通事故件数、最悪の延び。練馬の主婦殺し、実は夫が……。
A新聞を畳んで捨てる。大きく背伸びをしてあくびをし、ギターケースを持って立ち上がり、下手へ歩きだす。袖まで歩いた時、突然中央のベンチに赤いスポット。「ロッキーのテーマ」高らかに流れ出す。B中央奥の暗闇から飛び出し、ベンチに飛び乗る。金色のマントに身を包み、前髪を紫に染め、仁王立ち。
B (叫ぶ)我こそは救世主なり! ロック界の救世主なり! 我の衣に触れる者は総て救われ、満ち足り、栄光と幸福を手にするであろう。我こそは――。
A指を鳴らして合図。音楽と照明、急に止まる。ベンチの上のB、叫ぶ格好のまま硬直。
A (客席に向かって静かに)世の中は日に日に殺伐とし、人々の唇から歌は剥ぎ取られ(Bを差し)おかしなやつらが横行し……だけど俺は歌い続ける。どんな人間にだって生きる権利はある。そして同時に、どんなやつだろうと生きるためには希望が必要だ。
A立ち去りかける。B慌ただしくベンチを降り、マントを脱ぎながらあたふたとAを追う。マントの下は地味なグレーの背広と黒いカバン。典型的なサラリーマンのスタイル。年齢は40歳ぐらいであろうか。
B ちょ、ちょっと待ってくださいよ。あたし救世主なんですよ。聞いてなかったんですか。
A 聞いてたよ。
B だったらもうちっと驚いたらどうなんですか。これじゃまるであたしが馬鹿みたいじゃないですか。
A 誰が見たって馬鹿に見えるぜ。
B これだ! まったく最近の若い人は物のありがたみってものを知らないんだから。せっかくマントも新調して、登場の仕方も昨日徹夜で練習して、セリフも考えて、髪の毛染めるんだって安かないんですよ。
A おっさん。俺は今忙しくはないけど、あんたと話したりアンケートに答えるほど暇じゃないんだよ。
B (うろたえ)ええと、ほんとに何て説明すればいいんでしょうかねえ。とりあえずこれ、名刺です。
A (受け取り、読む)「英雄株式会社 音楽部 ロックンロール課 日本支局 森本末吉」。分かった。あんたスカウトマンだろ。
B いやだから救世主ですよ。
A そんなこと、名刺に書いてないぜ。
B そりゃあなた、今時救世主だって言って誰が信じます? 今だって、あんなに救世主っぽくやってみたのに、あなた感動しなかったじゃないですか。
A 感動させようとしてたのか。
B そうですよ。それなのに、あなたときたら自分勝手に進めちゃうんだから。とにかく説明しますから。
B、Aを無理矢理ベンチに座らせる。
A 手早くな。
B 分かりましたよ。ええっと、つまりあたしは本物の救世主なんです。ようするに神様の特派員。人間が生まれてからこっち、世界中のあちこちに英雄を創ってきたんです。
A 何で?
B 黙って聞いてください。ここが重要なポイントなんですから。いいですか? 人間ってのは実に勝手な生き物で、誰もが英雄になりたがってるんです。だけど少しずつ歳を取って、ある日突然、自分が英雄の器じゃないってことに気づいてしまうんです。
A フムフム。
B するとどうなると思います?
A さあて。地道に暮らすか、世をはかなんでひと思いに死んじまうか。
B 愚かな人間どもは、今度は自分の身近な所に英雄を見つけだし、それにすがろうとするんです。だけど英雄なんてそう簡単に都合よく生まれてくるもんじゃない。そこであたし達が神様から全権を委任されて、世界中のあちこちに英雄を創りだしているんです。
A なあるほど。
B 分かっていただけました?
A よーく分かったよ。さあ、病院まで送ろう。
B まだ分からないんですか! あなたって人はまったく。いいですか? 次の日本の英雄の座をあなたにあげようってんですよ!
A 俺に?
B そうなんです!
B背広のポケットから大きなベルを出し、福引きの大当たりよろしく派手に打ち鳴らす。A、Bをまじまじと見る。B気がついて我に返り、ベルを置き、咳払い。Aベンチにもたれてため息まじりに。
A OK。じゃあとにかくあんたが本物の救世主だってことで話を進めようか。
B 分かりました。それじゃ、もうちょっとご説明します。あたし達は世界中を組織化して働いています。もちろん音楽だけじゃなくて、芸術部、スポーツ部、政治部。隣に住んでる松本さんなんか、ヒトラー担当だったんですよ。それにあたしだって……
A どうしたの。顔が曇ったけど。
B あたしなんかあなた、凄いもんです。去年までアメリカ東部支局にいて、誰やってたと思います? ブルース・スプリングスティーンですよ。知ってるでしょ?
A へえ、じゃああんたがブルースの育ての親ってわけ?
B そうですとも! そりゃもう大変でした。あの人が子供の頃からずっと取りついて。
A 疫病神みてえ。
B 影になり日向になり……30年ですよ! 一口に30年って言ったって、そりゃもう大変な苦労だったんだから。
A その大変な人が、何でこんな所に?
B 聞いてくれます? あたしゃねえ、ほんとに頑張ったんですよ。青春を賭けたって言ってもいい。努力のかいあって、総てが順調に進んでたんです。レコードはプラチナ・ディスクまでいって、ワールド・ツアーのチケットも即日完売。素敵な奥さんももらって……。ところがあなた。青天の霹靂たあこのことです。あの人ったら、バンドのコーラスの女とできちゃったんですよ。あたしがいくら救世主だっていったって、夜の方まで面倒見きれませんよ。おかげであっと言う間に離婚、バンドは解散。支局長が神様に呼ばれてえらく怒鳴られたらしくて、次の日にゃ、あたしはこんな所まで飛ばされてしまって。それから後はもう泣かず飛ばずの毎日ですよ。支局長、何て言ったと思います?
「そろそろ日本から英雄が出てきてもいい時期だ。だから言ってみりゃ君、これは栄転だよ」
あんまり勝手じゃないですか。あたしにだってプライドがあります。女房とやっつを頭に3人の子供が……りっぱな救世主になれるように、手塩にかけて育ててるんです。それなのに……。(泣き出す)
A 分かった、分かったよ。あんたが救世主だってことも、哀しいってことも。
B 終わっちまったことが哀しいんじゃありません。何にも終わらないってことが哀しいんです。
A よっく分かるよ。ほんと哀しいねえ。これが単身赴任の現実かねえ。
B あたしゃサラリーマンじゃありませんよ!
A 分かったって。それであんた、俺をどうするって?
B (ハッとして)そう、そうなんです。喜んでください。日本の次の英雄はあなたに決定しました。(慌ててカバンの中から書類を取り出す)これ、あなたの子供の頃からの情報を集めたファイルです。ええと、これによりますと……あ、すいません、ちょっとジャンプしてもらえます?
A え、こう?(立ち上がり、その場で軽くジャンプ)
B ちょっと低いけど、まあいいでしょ。甲種合格です。なにせロックンロールの基本は足腰ですからね。それに調べによりますと、あなた申し分のない英雄的過去をお持ちです。家出歴5回、補導歴3回、14歳でステージに立ち、15歳で初体験。以後女性関係は引きも切らず。20歳の時のステージでギターに火を点けて振り回し、あまつさえそれを客席に投げこみ怪我人を出して逮捕。伝説のロッカーと呼ばれ始める。子供の頃のベッドには「バラの蕾」の文字。いいですねえ、完璧です。英雄に熱血的過去はつきものです。ただ……ええと、ひとつ問題なのは、ちいとばかし友人が少ないようですな。こいつぁいけません。英雄というものは常に人望が厚くなくっちゃ勤まりません。
A 友人はみんな岩〔ロック〕の角に頭ぶつけて死んじまったよ。
B はい?
A それにあんた、ほんの少し遅かったよ。
B と、言いますと?
A 俺、もうロックなんか止めちまおうと思ってるんだ。
B え、そ、そんな、ちょっと待ってくださいよ。あなたは次の日本の英雄に……。
A まあ聞いてくれよ。俺だって13の時からずっとロックやってきたんだよ。何故ならロックってのは自由の象徴だったからね。
B そーですとも。だいたいロックってのは自由と反逆の代名詞です。
A ところがどうだい。そりゃ最初の何年かはよかったよ。だけどそのうち考え始めたんだ。世間を見渡してみなよ。お手軽で甘ったるい音楽ばかりが氾濫して、自由と反逆のロックなんてギャグにもならない。こんなものロックじゃない、こんなんじゃロックとは言えねえ。ロックしようとすればするほど辛くなってくるんだ。そもそもロックって何だよ。
B だから自由と……。
A 違うね。少なくとも今は違う。ロックなんてただのバリエーションだ。ロックって言葉に捕われることがそもそも間違いなんだ。だからある日、俺はこう思ってみたんだ。ロックなんかもうやめーってね。そう思った途端、見ろよ。こんなに自由だ。第一、俺はロックンローラーとしては5年だけど、シンガーソングライターとしては15年だ。
B しかしあなた、あたしと組めば、明日にでもロックの英雄になれるんですよ。そりゃもう、えらい勢いで。
A 残念だな。
B ねえ、そんなこと言わずにお願いしますよ。せっかく苦労してあなたを選びだしたんだから。
C下手より登場。ラーメン屋の出前持ちの格好。岡持ちを下げている。
C 毎度! おまっとうさんでした!
A またややこしそうなのが出てきたな。あんた誰?
C へえ、ポップスの救世主ですが。
Aうんざり。B慌てて立ち上がる。
B ちょっとあんた、うちの縄張り荒らしちゃ困りますよ。この人はあたしが最初に唾つけたんだから。
C でもこの人、この間夢の中で言ってたんだぜ。「何でもいいから金儲けしてえ。この際ポップス歌って売れ線狙うか」って。そんなわけだから、わりいね。じゃああなた、これ受け取ってもらいましょうか。
C岡持ちの蓋を取り、中からミラーボールを取り出す。途端にそれはキラキラ輝きだす。
B 冗談じゃないよ! この人はね、ロックにこそ相応しい人物なんだ。ポップスみたいなチャラチャラしたもんに取られてたまるか!
B、Cを突き飛ばす。ミラーボールが落ちて砕け散る。
C てめえ、何しやがるんだ! ふざけたことするとただじゃおかねえぞ!
BとC、取っ組み合いになる。Aが中に入って止めようとする。
A やめなよ2人共。いい歳こいて喧嘩なんかするなよ。
B 何言ってんですか。元はといったらあなたが原因なんですからね。ねえあなた、今更あたしを裏切ろうってんですかい? それじゃあんまり渡世の義理が立たねえ。
C 何言ってやんでえ。ねえあんた、今時金儲けするんだったら、絶対ポップスですぜ。テレビを見てごらんなさいよ。ロックだ何だと突っ張らかってみたって、世間はそんなこと聞いちゃいませんぜ。それよりキラキラ輝くスポットライトの下で派手に歌ってみたくなりやせんか?
B 馬鹿言ってんじゃないよ! ロックにはロックのやり方ってもんがあるんだ。女子供の音楽とは違うんだ!
C 何だと! じゃてめえらは誰に向かって歌ってるんだ! 聴く連中がいてゼニ払ってくれるから商売が成り立つんじゃねえか!
B 商売って言いぐさはないでしょ! ロックってのはね、もっと神聖なもんなんだ!
C はっ! 偉そうなこと言ってたって、腹ぺこになりゃあ考えも変わるだろうよ!
A ちょっと待ちなって。とにかく冷静になりなよ。
A2人を離し、ベンチに座らせる。Aを真ん中にして3人が座る。BとCは肩で息をしながら、まだ睨み合っている。
B (Aに)こうなったら、もうあなたに決めてもらうしかないですね。さあ、ロックかポップスか決めてもらおうじゃないですか。
C そうだそうだ。あんたが決めればいいんだ。
BとC、両側からAに詰め寄る。
A あのさあ、ロックだポップスだ、じゃなくて、全部まとめて音楽の救世主ってのはいないの?
C あんたねえ、世の中にどれだけの種類の音楽があると思ってんのよ。そんなもん一緒くたにしちゃったら、いくら神様だってこんがらがっちまうでしょ。だからこうしてジャンルごとにあたし達が働いてるんじゃないの。さあ、どっちです?
B さあ、どっちを取るんですか?
C さあさあ。
B さあさあ。
C 豪華マンションに別荘。
B 自由と反逆
C 可愛い歌手とスキャンダル。
B ラヴ・アンド・ピース。
C ベンツにポルシェ。
B 真実と芸術。
C さあさあ。
B さあさあ。
A2人を振り切って立ち上がり、正面に向かって叫ぶ。
A 俺がやりたいのはロックでもポップスでもねえ! 俺がやりたいのは音楽だ!
しばらくの間。Cが白けたように立ち上がる。
C ちっ、だめだなこりゃ。はるばるやって来たってのによ。こんなに意固地だとは思わなかったよ。しょうがねえ、他を当たるか。おい、あんた。(Bに)さっきのミラーボール代、弁償してもらうぜ。後で請求書送るからな。
C岡持ちをぶら下げて下手へ退場。その時のヒット曲を口ずさみながら。Aやれやれといった感じでベンチに座る。B背中を丸めて座り、Aを盗み見る。
B ねえ……もう一度考え直してくれませんかねえ。
A あいにくだけど。
B そうですかあ……あたし、あなたとなら馬が合うと思ったんですがねえ。……まあ、しょうがないな。次を当たってみるか。
A 大変だろうけど頑張ってよ。それが仕事なんでしょ。
B (しんみりと)へへっ、まあそうなんですけどね。じゃあ、あたし、行きますわ。(立ち上がる)どうもお手間取らせちゃって。……そうだ。せっかくだから、どこか他の課の人でも紹介しましょうか?
A (つられて立ち上がり)どんなのがあるの?
B そうですねえ。シャンソンの救世主なんてどうです? なかなかいい女ですよ。
A へえ、女の救世主もいるの?
B もちろん。これがまた生唾もんの女でしてねえ。そうだ、ぜひ紹介させてくださいよ。
A ふうん。面白そうだなあ。
B おっ、だんなあ、結構遊んでますね。今まで何人の救世主泣かしたんですか? ね、あたしんち来ませんか。すぐそこなんですよ。シャンソンの救世主、電話で呼びだしますから。
A ほんと?
2人、話しながら下手へ歩きだす。
A で、その子、いくつなの?
B そうねえ、まだ20歳そこそこってとこじゃないすか。
A へえ、そっかあ。ひとつ頼んでみるか。ええと。
B 森本です。
A そうそう。
2人、下手へ退場。消える間際に、B観客に向かってウィンク。照明が徐々に落ちる中、コンサートのアンコールの拍手が聞こえ始める。暗転になり、拍手がピークに達した辺りで静かに幕。
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